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Twitter で出会う格言 – 倫理的に振る舞う編

何のために Twitter を眺めてる?

Twitter は、素晴らしい言葉に出会うための最高のメディアだ。もちろん、知らない他人の細やかな日常報告や、蒙昧で知性を疑う陰謀論なんかもあるけど、適当に follow する人を選べば知って嬉しくなるような素敵な言葉と出会える。それが楽しくて僕は Twitter を暇さえあれば眺めてる😂

この記事では Twitter を通して知った素晴らしい言葉を書き留めていく。以前も Twitter で知った本を紹介する記事を書いたことがあるね。Twitter で like してるから記録は残るんだけど、Twitter の運営って危うい印象なので一旦ブログに写してバックアップしようと思ってね…笑

倫理的に振る舞う

美を崇めればその先にあるのは老いへの恐怖なのと一緒で、知を崇めれる先にあるのは哀れな選民意識だよね (@tamuramble Jul 12, 2022)

フェアであろう,誠実であろう,正直であろうという意識のない人が思いの外多い。むしろそうでないことが自分の能力だとさえ信じ,機会あらばフェアな人を騙すことを狙っている (@CasseCool )

他人が決めたことに唯々諾々と従うという意味での真面目は思考コストがかからず楽なので,そういう意味での真面目な人は怠け者 (@eis_baerchen )

知識なき善意は、ただの破壊行為になってしまうことがほとんど。 … むやみに生き物を自然に放ってはいけないが、それを知らない人が多いってことを生き物好きは知るべきなのかもね (@wowkitsunezaru_ )

差別の解消は”優しさ”じゃなく知性。優しいから差別しないであげよう、では世界は変えられない。勉強しよう。差別構造を学ぼう。権利の話をしよう (@5meso1 )

「長所を伸ばせば短所は味わいになる」 という言葉が好きでして、「我、味わい深いわ〜」と無駄にポジティブになれるのでおすすめです (@transitkix )

自分が中立な立場であることの根拠として「あんま考えたことない」を挙げる人いるけど、あんま考えないで日々を過ごすというのは、現状に毎日投票し続けているのと同じで、現状維持とは、強い立場の者に毎日票を入れ続けているのと同じなので、それは全然中立じゃないんよ (@5meso1 )

無能で十分説明できることに悪意を見出すな、というのは有名な言葉だけど、リソース不足で十分に説明できることに無能を見出すな、というもう1段階上(下)の考えも必要だよなってたまに思う (@shibu_jp )

「不幸を選択しない智慧」っていいな。選んで不幸になってる人って多い気がする。人は、不幸な状態が長く続くとそれが常態化して、ときどき訪れる小さな幸福も「自分には相応しくないものだ」と選ばずに遠ざけてしまう。偶然の小さな幸福をちゃんと享受するのも「不幸を選ばない智慧」なんだろうな (@yusai00 )

相手のプライベートな事情を根掘り葉掘り聞かないというのは、その人の優しさの表れであり、成熟の証であり、大人のしるしである (@maiko_tajima )

応用行動分析では「死人テスト」という考え方があります。「死人にもできることは行動とは言えない」という考え方です。例えば「廊下を走らない」は死人にもできます。しかし「廊下を歩く」は死人にはできません。死人にもできる「廊下を走らない」は行動目標にするべきではありません (@81I6VVboj7h2Bqy )

道徳の知力への転換はすでに始まっていて,「頭が良くないと/勉強ができないと道徳的になれない」という世界はもう到来していると思う。そしてここでいう「頭の良さ」は「知識を活用して上手に世渡りするずるがしこさ」のような面も含んでいる。 素朴な生活感からくる素朴な様式では対応できない (@eis_baerchen )

「頭が良くないと/勉強ができないと道徳的になれない」これはホントだな。外国人差別や女性差別も、「高等教育できちんと学んでいるからそういうことはしないのだ」という風になってきていて、すると「(親が)裕福な人間は道徳的に振る舞える」みたいになってきて (@desean97 )

「女はバカ」は許されないのに「男はバカ」が何となく許されてしまうのは男性差別ではないのですよ。「女はバカ」が、だから学校に行かせるな参政権を与えるなと、女の権利を制限するために使われるのに対し、「男はバカ」はだから仕方ない許してやれと、男の権利を拡大するのに使われているからです (@Agiasaphia )

前も書いたけど,素朴に生きて,自分の感性をそのまま信じて生活してたら,カジュアルに人種差別をしてしまったり,自分と価値観の違う相手を攻撃したりしてしまうので,努めて,理知的に生きることを意識し続ける必要がある (@nukeme )

「その議論における自分の敗北条件を定義できるか?」というのが,話が通じるかどうかの基準になると思っている。現実的な敗北条件を自ら定義できるなら議論できる。定義できない,何を言われようとも絶対に譲れないのなら,それは事実や理論ではなく信念に属することだから議論してもしかたない (@stdaux )

「他人の目線が気になる」って人、それ、他人じゃなくて自分の目線です。心の中で人を笑う度に、自己監視は強まります。僕はパリピを冷やかしてたせいで、楽しくてもハメ外せなくなりました。パリピを冷やかした自分が、はしゃぐ自分を笑うから。誰かを冷やかすたびに、人生の楽しみが1つ減ります (@okapo192 )

社会秩序と人心を破壊して「見ろ、これが醜い人間の本性だ!」とか正論ぶる悪役大嫌いなんですよね いや人の本性が醜いとかみんな知ってるよ。それを何とかしたくて秩序や倫理という名の服を生みだしたんだよ 人の服一方的に剥ぎ取って「みろ、裸の変態だ!」って、剥ぎ取るお前が悪いに決まってるだろ (@okamura3220 )

けしからん表現を規制していったら際限がないから,外形的に「実在個人の権利を侵害しているか」みたいな線で区切ってる。「この表現はけしからん」という意見に対する反論は「いや本当は素晴らしいんです」ではなく「なるほどけしからんですね。でも規制する理由にはなりませんね」でなければならない (@stdaux )

そういえば今日、藤原さんが 「『批判的』と訳すと日本人は否定することだと思ってしまうから、『複眼的』という表現にしてる」 っておっしゃってて、なるほど!ってなった。 私が前に書いたすべてを肯定するっていう話もこれに近くて、別の角度から見たら正しいかもだしね、というスタンスは大事 (@qzqrnl )

KISSME PROJECT | 伊勢半グループ | あしたは、もっと美しく

【規則はなぜ厳しくなる一方なのか】の原理に迫った論文。今朝の『ネイチャー人間行動』より。 一言で言えば、「厳しいルールを求める人は緩やかなルールを求める人が厳しいルールによって罰せられることを好むから」という罰の非対称性が原因とのこと (@yuji_ikegaya )

「他人の生命・身体・財産に侵害的に関与することはそもそも自由に含まれない」という自由論の基本中の基本ができていない人がいて議論が最初から混線することは多々ある (@eis_baerchen )

よく、「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」だの言われる事があるけどアレは大嘘。実は嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど人にもそれを強いる (不幸な経験をした人間ほど人を不幸にしたがる)

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