スポーツを切り分ける

スポーツを分類したい.

問題提起
例えば,「テニスはスポーツか?」「野球はスポーツか?」「サッカーはどうか?」これらの質問に対して「いいえ,それはスポーツではありません」と答える人は少ない(いない?)と思う.激しい運動を伴うし,歴史も深いし,競技人口も多い(野球の競技人口はテニスとサッカーと比べて桁で少なそうな気はするけど,その問題は脇に置いときましょう笑).
ニュース番組で「ゴルフ」ってスポーツコーナーで扱われるよね.ボウリングのニュースってあまり聞かないけど,もしあればスポーツコーナーで扱われそうな気がする.でもゴルフってスポーツ?ボウリングってスポーツ?

もっと言うと,「マリオカートのタイムアタックはスポーツだ!」とか「料理はスポーツだ!」みたいな言説もあるじゃん.でも「テニス」と「サッカー」がスポーツなのと同じ意味で,「タイムアタック」と「料理」はスポーツなのかな?何か違う気が,俺はする.正直に言うと,俺のイメージでは「ゴルフ」も「ボウリング」もスポーツじゃない.でも「マリカーのタイムアタックはスポーツだ!」って言う人の言い分が全くわからないわけじゃない.ある意味「スポーツだよね」と思う.
だから『「ゴルフ」も「ボウリング」もスポーツじゃない』を,もう少し俺の感覚に近いように,正確に表現するなら『テニスやサッカーと同じ「スポーツ」ではない』って感じ.つまり,スポーツは2種類の意味を内包してるんだという考えが,一番俺の直感に即する.というわけで,俺は今まで何となくこんな持論を持っていたのです.
- スポーツは2種類に分けられる
- スポーツっぽいスポーツ(野球やサッカーのような)
- ”ある意味スポーツ”と呼べるスポーツ(ゴルフやボウリングや,果てはマリカーのタイムアタックまで含む)
武井壮の持論(素晴らしい)
ここで,スポーツの上達法について考えよう.ここで言う「スポーツ」は,俺の持論で言うところの前者(スポーツっぽいスポーツ)を想定して話すけど,たぶん後者(”ある意味”スポーツ)を含めて読んでも問題ないはず.以下は武井壮の持論を参考にした俺の持論.
武井壮は小学生の時に野球をやっていて,とても不思議なことがあったそうだ.それは「毎回同じようにバット振っているのに,どうしてホームランになる時とならない時があるのか?」と言う問題.武井壮は(皆さんご存知の通り)凄く運動のセンスがいい.だからホームランを打つことができた.でも「たまに打てる」んじゃ満足できず,「毎回打ちたい」と思ったんだね.それで,どうしたら打てるのか研究したそうだ.
![ball[1]](https://i0.wp.com/lookbackmargin.blog/wp-content/uploads/2019/07/1b1b11692c.jpg?w=680&ssl=1)
その結論はこう.「毎回同じようにバットを振ってるなんてのは気のせい.毎回恐ろしいくらいバットの軌道が違うじゃないか!」そこで武井壮は気がついたらしい.「自分の体を完全にコントロール出来てるつもりでいたけど,全然ダメだったのか.だからホームランが打てたり打てなかったりするのか.」そこでどうしたか.武井壮は,自分で自分の体の隅々までコントロールできるように訓練したらしい.それで野球の腕はずいぶん上達したとか.
言われてみれば当たり前の結論.でも気付くのは難しい結論だね.短距離走の選手が走るフォームを美しく,早く効率的に体を動かせるように練習すのは何でだ?正しいフォームが頭に入ってれば,あとはそれを実行するだけじゃないの?と思うが,そうじゃないんだね.人間は体の隅々までをコントロール出来てないし,だからこそ繰り返しの練習で,「コントロールしよう」と思わなくても体が勝手に動くように練習するわけだ.
あんまりここで俺が詳しく武井壮の持論を解説しても仕方ないから,重要っぽい箇所を引用して終わりにしようか.武井壮のスポーツ論は,以下の言葉で表現できる.
自分がイメージする通りの動きができる人って、意外と少ないんですよ。例えば、目をつぶって、右手を地面と水平に上げてみてください。目を開けると、正確に水平には上がっていないと思います。じっとしている時に思った通りに身体を動かせなければ、イメージ通りのフォームでは投げられない。まず、自分の体を思ったように動かす練習を積むことが大事なんです。
”百獣の王”武井壮さんの仕事論「クオリティを上げたいだけではアマチュア。高い技術で周りを元気にするのが、プロ」 – リクナビNEXTジャーナル
上達法を受けて
さて,じゃあスポーツの上達には2種類あるような気がしてきた.次の2種類.後者は武井壮のスポーツ上達論そのもの.まずは「話は身体を自在に操れるようになってからだ」と言う感じ.現実問題,上達にはこれが一番効くと,俺も思います.
- 意識的に体の隅々を完璧に制御する(現実的には無理)
- 無意識でも目的の動作を再現できるよう訓練する(武井壮のスポーツ上達論そのもの)
で前者.なんで前者は無理なのかといえば,さっきの野球の例で言えば「野球の試合はそんなに遅くないから」.野球の試合中に「右足はここ,左足はここ,腹と胸はそれぞれこっちの向きからあっち向きに動かして,腕と肘をこうして....」なんて考えてる余裕はない.そんなこと武井壮も出来ない.
そんなこと誰も出来ないからこそ,みんなスポーツの選手は「練習」をするんだよね.野球もテニスもサッカーも,速い.だから体をどう動かすかなんて問題を試合中に考える余裕はない.人間の脳の処理能力的に,それは不可能だ.

でもマリカーのタイムアタックはどう?動かすべき体の箇所は少ないよね(指先だけ).多少の(というかかなりの)訓練をしないとタイムアタックで最高記録を出すことは出来ないけど,一瞬で考えるべきことは,野球やテニスと比べたら格段に少ない.目と指さえ動けばいいんだから.
そして,ゴルフとボウリングにも,俺は同じことが当てはまる気がするんだよね.一瞬で考えるべき項目の数が,野球やテニスと比べて格段に少ないと思う.それは「体の使うべき箇所が少ない」のか,はたまた「考えるのに使える時間が野球やテニスと比べて長い」のかはそれぞれでしょう.でも「脳が行う時間あたりの運動機能に関する情報処理の量」と言う観点から見ると,野球やテニスと,ゴルフやボウリングでは圧倒的な差がある気がするんだ.
結論
さて,長くなってしまったからそろそろ結論を.初めにも書いたとおり,俺はスポーツは2種類に分けられるような気がしてる.というか,「野球」や「テニス」のようなスポーツと,「ゴルフ」や「ボウリング」のようなスポーツには違いがあるような気がする,というものだけど.
- スポーツは2種類に分けられる
- スポーツっぽいスポーツ(野球やサッカーのような)
- ”ある意味スポーツ”と呼べるスポーツ(ゴルフやボウリングや,果てはマリカーのタイムアタックまで含む)
でも,今までこの区別は曖昧だったし,他の概念で置き換えて説明したりすることが出来なかった.でも今回,武井壮のスポーツ上達論を知って,一つ世界が開けた気がしたんだよね.とは言え,完全に俺の直感を説明するには至ってないんだけどね.俺の直感的なスポーツ分類の,より具体的っぽい説明はこんな感じ.
- スポーツは2種類に分けられる
- 脳が行う時間あたりの運動機能に関する情報処理の量が多いスポーツ(野球やサッカーのような)
- 脳が行う時間あたりの運動機能に関する情報処理の量が少ないスポーツ(ゴルフやボウリングや,果てはマリカーのタイムアタックまで含む)
これで少しだけ俺の概念が整理された気がするんだ.もう少し具体的に,俺の概念を整理できる時が来たら,またその内容を書くかも.

最後に注意!
「オマエ馬鹿じゃん!そんな区別存在しねーよ!訳分からん屁理屈で野球とゴルフを区別するな!同じスポーツだろ!」とか言わないでくださいね.そう思うのはあなたの自由だ.でも以上に書いたように思うのは俺の自由だ.
例えば上の画像を見て「緑だろ」と思うのは自由だし,「いや,どちらかといえば黄色だろ」と思うのも自由.抽象的な概念の線引きを,世界中のみんなで共有することは不可能なのです.スポーツも同じ.境界線があるように感じる人と,境界線がないように感じる人と,世界には両方の人がいるのです.(例えが分かりにくい笑.すみません)