論理の出来ない人に三角関数は要らない?

聞いてて呆れさせてくれる.
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なんの話?

2015年8月27日、高校教育のあり方を議論する第2回県総合教育会議で、鹿児島県知事・伊藤祐一郎氏が「サイン、コサインを女の子に教えて何になる?」と発言し“女性蔑視問題”で批判を受けた.
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それについて,多くの人が「男女差別だ」と言ったり「時代錯誤だ」と言ったりしてる.確かにそれらの指摘は正しくて,昔の日本では女子には勉強の機会さえなかったし,参政権もなかった.それは大昔だけの問題じゃなくて,つい数十年前だって男子は技術科,女子は家庭科と授業が分かれていて,性別によって学問の機会が均等じゃなかった事実がある.
性別によって学習の機会が均等でないことは,是正されるべき不正だと多くの人が判断した.現在は男子も女子も,学習の機会が均等になるように努力されてるし,参政権もあるし,技術科と家庭科は統合されて技術家庭科として男子も女子も学ぶ科目に格上げされた.それらを否定して,「女子は男子と同じことを学習する必要がない.女子は草花の名前を知るのが女子の幸せだ」などと謎の持論を展開した知事は恥さらしだね.
でもはっきり言って,問題はそこじゃないと思う.三角関数の有用性をいくら説いても知事への反論たり得ない.知事は難しい数学概念の代表としてたまたま三角関数を持ちだしたに過ぎない.三角関数の有用性をいくら説いても,知事にしてみれば「はぁそうですか.じゃあ微分積分と集合論と,場合の数と確率の勉強はやめて,草花の名前を知るのに使ってもいい?」って言えば済む.三角関数の有用性を説くことは,知事の主張の急所を突く反論になってないから,いくらでも別の例を挙げて回避されちゃうよ.三角関数が役に立つのか,微積分が役に立つのか,そんなことはこの件で関係ない.俺が思う数点を挙げて,知事への反論にする.

生徒たちは,「自分の意志で」高校に学びに来ている

1つ.生徒(男女ともに含む)は個人の意志で,学ぶために高校に通っています.普通科の高校に通うということは,本質的に「高校の数学と国語と英語とその他の教科を学びたいです.学費を払いますから教えてください」を意味する.学校がカリキュラムを決めて,生徒がカリキュラムを比較して通いたい学校を選び,そこを受験する.
行政が「これをカリキュラムに込めましょう,これを教えるのはやめましょう」とか言うのは出すぎたマネ.市場に,すなわち各学校に,すべて任せればいいです.教育の世界に,大きな政府は要らない.各個人が自由に学ぶことを選ぶのがあるべき姿.自由な市場に於いて,政府(この場合は政府ではないけど,便宜上こう言う)が口を出すのは害でしかない.各個人の自由を制限するのはおかしい.それが1点目.

画一的な人生観の押し付け

もう1点.知事はこんなことを言い訳会見で言ってる.ここで引用しよう.

実際難しいんですよね。何を教えるかっていうのはね。中学校のときに明確に言われた話が頭のなかにあってこの発言が出てくるんだけれども。
「君たちね、英語の単語ひとつ覚えるよりも、世の中の草花の名前をひとつ覚えたほうが、人生は豊かになるんだよ」というのが、中学校のとき先生に教わったセンテンスだし。
それは今も頭のなかにあって、「考えてみれば、草花の名前なんかほとんど知らないよね」と。そういうのが潜在的にあるもんだから、ああいうセンテンスになって、発言したんですけど。

要約すると「中学生のときに先生から,英語の勉強するより花の名前を覚えたほうが人生が豊かになるって言われた」ということらしいね.こんなことを言い訳会見で言うなんて,恥の上塗りだねぇ.私は馬鹿ですと宣言してるようなもんだわ.この論理には致命的な欠陥があるよね.
そもそも「英語を覚えるよりも草花の名前を覚えたほうが人生が豊かになる」が正しいかどうか分からない.というよりも必ずしも正しくない.草の名前を覚えずに英語を覚えたほうが豊かになる人生は存在します.この比較は常に正しい訳じゃない.当てはまる人もいるし,当てはまらない人もいる.こんな「人による」ものを,さも誰も彼もに当て嵌まる真理かのように語るのはバカそのもの.個人的な思想を他人に押し付けるなと言いたい.知事独自の幸福観,人生観ならいざ知らず,「先生に言われたんだもん!」というのが根拠だというのも極めて滑稽.

比較と二律背反の詭弁

100歩譲って,その仮説が誰にでも当て嵌まる真理だとしましょう.だとしても知事が馬鹿丸出しなのは明らか.誰も彼もが「英単語を覚えるよりも草の名前を覚えたほうが人生が豊かになる」としましょう.さて,じゃあ「確かにそうだ!やっぱり高校で三角関数を教えるのは無意味だね!」となりますか?「これからは草の名前を教えよう!」となりますか?なりませんね.なぜなら,それらを両立することが可能だから.
次の3つの仮定から,以下の結論を導くのは,きっと論理的に正しい.第1の仮定は,俺も賛成する.高校は生徒の人生をより豊かにすることができる選択を行うべきだ.正しい仮定だと思う.第2の仮定は正しくない.花の名前より三角関数のほうが人生を豊かにする場合がありうる.でも,今は100歩譲って,それが正しいとしてるわけ.

  1. 高校は,生徒の人生がより豊かになる選択を行う
  2. すべての生徒の人生は,三角関数を学ぶことよりも花の名前を覚えることによって豊かになる
  3. 高校は生徒に,三角関数か花の名前か,いずれか一方しか教えることが出来ない
  • 高校は生徒に,三角関数を教えず花の名前を教えるべきでだ

でも第3の仮定は間違いだ.高校が生徒に,三角関数か花の名前かいずれか一方しか教えられないというのは正しくない.本当に必要ならどちらも教えたらいいんだ.実行して本当に意味があるかは別として,それらの両方を教えるカリキュラムを組もうとすれば組める.「三角関数の勉強と花の名前を知ることが二律背反で,どちらか一方しか取ることができない」という間違った前提を持ち出さないと,知事の主張は成立しない.
彼の発言は「女子に三角関数を教えて何になる」としか言ってないので,必ずしも「高校で三角関数を教える必要がない」とは言ってない.だからこれは俺の過剰な深読みと無意味な反論かもしれない.でもまぁ,普通に受ければ,「高校で三角関数を教える必要がない」と言ってるように聞こえるし,架空の意味に反論します.「英単語を覚えるよりも草の名前を覚えたほうが人生が豊かになる」という話を持ってきて,「だから私の『女子にサインコサインを教えるのは意味がない』と言う発言は正当化される」と主張するのはめちゃくちゃ.

男女差別を超えて,単に頭が悪い

これは「女子に教えない」とか「男子には教える」とかも関係ない.もう本当に頭が悪いことを晒してしまった残念な知事.僕の結論をまとめると4点.

  • 多くの人が同じように指摘しているように,性別によって教える教科を変えようとも解釈できる発言は認められない.男女は平等に扱われるべきだと考えていないと推測されるね.性差別主義者とも取れる発言が悪い.
  • 該当の発言に「性別によって教える教科を変えよう」との意図がないとしても,それを知事が言ってどうしようというのはおかしい.生徒たちはサインコサインを含めて,「学ぶために」高校に通っている.どうしても三角関数を学びたくなくて,草の名前だけを知りたい高校生がもしもいるなら,その人はその道を進みますから余計なお世話は不要です.高校生の学びの可能性を損なわせようとした点で悪い.
  • 言い訳が粗末すぎる.中学時代に先生から「英語より草の名前のほうが大事だ」と教わったからと言って,それをそのまま盲信しているのがお粗末.人によって,人生の役に立つ重要なことは違います.草の名前を知ることが豊かな人生をもたらす生き方を選ぶ人もいれば,三角関数を学んで幸福を手にする人もいます.もちろんそれ以外が幸福の鍵になる場合もある.必ずしも正しくない幸福感を押し付けようとした点で悪い.
  • 仮に「英単語を覚えるよりも,草の名前を覚えるほうが人生が豊かになる」との思い込みが正しかったとしても,だからといって「三角関数を教えるのを辞めて,草の名前を教えるほうがいい」とはならない.それらは二律背反ではなくて同時に成立しうる事象.「英語学習」と「草の名前学習」の比較に優劣があるからといって,どちらかを却下するとの主張は成立しない.つまり言い訳が主張を支持できてない.比較と二律背反の詭弁で自己を正当化しようとした点で悪い.

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