なんで「歴史」は戦争ばかり扱うの?

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なぜ「歴史」は戦争ばかり扱うの?

なぜ “歴史” は戦争ばかり扱うのだろう?ある本を読んだとき、歴史学自体へのこんな根本的な疑問がふと浮かんだ。戦争を外交の一形態と考えると、戦争は「政治」の一部と言えるだろう。そうであるならば、我々が「歴史」と呼ぶ学問は、実際にはほとんど政治の歴史だ。

「歴史」と大きな看板で名乗るくせに、政治以外の人間活動の歴史については多くを語らない。例えば科学、芸術、医学、民俗といった人間活動の歴史が「歴史」に含まれることは稀で、それ故に「科学史」「芸術史」のように、別の名前が必要になってる。これは何故だろうか?

人間活動のうち、最も重要なのは “政治”?

「なぜなら、人間活動のうち最も重要なのは “政治” だと、歴史家は考えるから」――僕は、答えをそう推測する。例えばイスラエルに関連してあなたが知るべきことは、パレスチナを巡る民族間の戦争であって、テルアビブ出身の計算機科学者 アディ・シャミアの開発した RSA 暗号 (安全なネット通販を支える TLS 証明書の基礎) ではないと、歴史家は考えるのだろう。

しかし、あらゆる人間活動の中で政治だけが特別な地位にある、ということはないはずだ。もちろん政治は重要で、政治なくして科学も芸術も無い。しかし逆もまた然りで、科学や芸術無しの政治もありえない。人間活動は複雑に相互作用しているから、最も重要なものとしてどれか一つだけを選び出すのは難しい。

それでも、どうしても、人間活動のうちどれか一つを最重要として選ばなければならないなら、僕は “政治” より “科学” を選ぶ。政治は脆弱で、排外的で、腐敗しやすく、ごく限られた人しかアクセスできない代物だ (もちろん僕は日本の政治に 1 票の影響力を持つけど、それだけだ)。科学にそうした側面が無いとは言い切れないが、政治に比べれば、科学はいくらか頑健で、中立で、成果主義的で、一般に開かれていると思う。

推参な名前を喝破する

今「歴史」と呼ばれてるものは、もう少し控えめに「政治史」程度に考えたほうが正確かもしれない。ほとんど政治しか語らないのに「我こそは、過去の人間活動におけるすべての試練と困難を現代に語り継ぐ使命を受けた、正統な伝道師である」みたいな顔で「歴史」を僭称するとしたら、それは分不相応だ。

このことを考えたきっかけは、2023 年末に読んだ書籍『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』。この本を読みながら、歴史上の個別の出来事についてよりも、歴史そのものについての疑問が湧いて仕方なかったのでした。

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