立場で発言しよう

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藤虎が「立場ってもんがありやしょう!」って言ってた.

なぜジョブズは Flash を批判したか?

Apple が iPhone を発売した当初,ジョブズはしきりに「Adobe Flash は脆弱で危険なソフトウェアだから iPhone ではサポートしない」と繰り返した.その主張は Adobe を動かし,結果的に Flash Player のサポートは2020年12月31日に終了した.でもジョブズが iPhone 上で動く Flash アプリを許さない理由は,当然ながら安全のためだけではない.

iPhone などの iOS デバイスにアプリをリリースするためには Apple の App Store にアプリを陳列してもらわないといけない.このため App Store の売上は凄まじく,2020年は約71.2兆円 (2021年9月25日現在の為替.米ドルで6430億ドル) にも登る.2021年の日本の国家予算 106.6兆円と比較になる程度に大きい.(Apple は単にアプリの配布を担うだけだから,この売上はほぼ不労所得だという点も見逃せない)

適当な比較グラフ

もしこの規模のアプリ群が App Store を経由せず Adobe Flash の技術で開発されていたら,Apple の売上はこれほどにまで成長しなかったでしょう.ジョブズは「セキュリティのため」と Flash を批判したが,当然その背景にはアプリ開発者を App Store に囲い込み,Apple の利益を確保する意図があったわけだ.

「儲けたいので Flash 禁止」とは言わなかった

ジョブズは「iPhone で利益を生む構造を作りたいから Flash はサポートしません」と言うこともできた.iOS アプリ経済圏の実現を危ぶめる Adobe Flash は排除しなければならないからね.でも単に「儲けたいので Flash 禁止」と言っても開発者やユーザはついて来てくれなかっただろうし,ましてや Adobe を変えることなんて不可能だったろう.当時は Flash アプリは広く普及していたし,iOS アプリ開発者なんて言葉すら存在すらしていなかったからね.

だからジョブズは「Flash は安全でない」「iPhone のブラウザは完全だから,ウェブアプリで十分」「Flash アプリはタッチスクリーン向けに設計されていない」など,「儲けたいから」以外の理由を挙げて iPhone の Flash 非対応を正当化した.こう聞けば開発者もユーザも納得して「Flash アプリではなく,iPhone でネイティブに動作するアプリやブラウザで動くウェブアプリのほうが望ましいのか」と考えてくれるでしょう (僕はすっかりそう思っていて,まさか Apple の利益のために Flash が批判されているとは思いもしなかった…🙃笑)

経営会議でもそう説明しただろうか?

ジョブズが1人で Apple のあらゆることを決定できる権限を持っているとは思えないので,きっと彼は Apple の経営会議 (あるいは類するもの) で「iPhone が Flash をサポートしない理由」を説明しただろう.どうやって?Apple の社内の意思決定の場でも,ジョブズは「Flash は脆弱だからサポートしない」と説明しただろうか?

おそらく違う.Apple の社内の意思決定の場では,Flash をサポートしないことで期待できる莫大な収益を,Flash 非対応の根拠にしただろう.なぜならその会議では Apple の利益が重要だからだ.

もちろんユーザや開発者の安全や利便も重要だけど,それらを確保できる範囲で利益を最大化する方法こそが,経営会議の議題だ.いかに利益を生み出し,雇用を維持し,株主に還元するか.それが議題なんだから,それを無視して「ウェブアプリもなかなか悪くないよ」とか言うのは的外れだ.

立場が発言を規定する

なぜジョブズは「iPhone の Flash 非対応」を,単一の理由ではなく複数の理由で説明したのか?それは「立場が発言を規定するから」だと思う.iPhone の開発者として,あるいは iPhone ユーザの代表として,iPhone がどうあるべきかを発言する立場に立てば,ユーザのプライバシーや情報安全性に焦点を当てた発言をするだろう.Apple の未来を創造する責任者として経営会議に参加すれば,Apple の利益に焦点を当てた発言をするだろう.

この文脈で,何がジョブズの「本音」だったかは,あまり重要じゃない.おそらく「iPhone で利益を生む構造を作りたい」が最大の本音であろうとは思う.とは言え,その実現を危ぶめる Adobe Flash の排除を開発者やユーザに納得してもらうには,「本音」での説明は適さない.であれば立場を発言に反映する必要があるのは自明のことだ.

よく考えるとこの絵は記事の主題と綺麗には噛み合ってないんだけど…

他人を納得させて動かすために,必ずしも「本音」が最も有効とは限らない.ときには建前を駆使して説得しなければならない場面もあるでしょう.これはウソをつくのとは違う.実際に iPhone 発売当時にもウェブアプリの技術は (それなりに) 成熟していたし,多くの Flash アプリはタッチスクリーン向けに設計されていなかったし,Flash は脆弱なソフトウェアだった.ウソをついたのではなく,相手が聞きたいことを選んで言ったに過ぎない.

さて,以下ではちょっと趣向を変えて,以前取り上げた似た話題を,「立場が発言を規定する」という視点から再検討してみる.

“常に同一人格” はむしろ不誠実

以前,Mark Zuckerberg の言う “Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity.” (抄訳: 自分自身に2つのアイデンティティを持つことは、誠実さの欠如の例だ) こそ不誠実だと書いた.これも同じ発想に基づいてる気がする.

常に同一の人格で生活できれば,そりゃ何の困難もなく人生は簡単でしょう.でもそうはいかない.人格の使い分け,顔の使い分けは必要だ.人格を使い分けること,顔を使い分けること,自分自身に2つ (またはそれ以上) のアイデンティティを持つことは面倒で困難だけど,避けて通ることはできない.

ジョブズがユーザに対して「Apple の利益確保のために Flash をサポートしません」と言えば共感を得られないどころか,むしろ反発されただろう.会議で「Flash アプリはタッチスクリーンに最適化されてないからサポートしません」と説明しても判断の決め手に欠けている.むしろ利益や売上への観点を欠いていて,経営に責任を持つ人間として他の役員や従業員,ひいては株主に対して無責任 / 不誠実ですらある.

同一人物が,同一のことを説明するのに,全く異なることを話すことがありうるということ.そしてそれは使い分けられて然るべきで,混在させるのは悪手だし不誠実だということ.Zuckerberg の思想はそうした点を考慮しておらず,稚拙な考えだと思う.

生成の論理と正当化の論理は違う

別の記事で取り上げたのは,生成の論理と正当化の論理.

論理っていうのは「何かを学んでいく論理」と「正当化の論理」と2つは違うんですよ.つまり「正当化の論理」っていうのは,結果をどういうふうにちゃんとして構造化されてるように見せかけるかっていう,ある種「嘘の論理」ですよね.

2017/03/23(木) 21:50開場 22:00開演 森友学園問題について言いたい事を言う生放送《東浩紀×津田大介×茂木健一郎》 (2:52:40 – 2:53:48 東浩紀氏の発言)

物事を作り上げるときは試行錯誤で作るから,完成した後に「つまり,これは何か?」を短く説明するのは難しい.試行錯誤の全過程を「最初はこういうのを作りたかったんだけど,〇〇でうまく行かなくて,次に□□をめざしたら△△ができることが分かって,最終的には…」みたいに説明するのは筋が悪い.これは過程を順に追っていく「生成の論理」だ.

完成後に「これは何か?」を改めて問う必要がある.そして全過程を説明せずとも,完成したものが何か分かる端的な説明を準備するんだ.これを思想家の東浩紀は「正当化の論理」と呼んでいた.

当然 iPhone は Apple を儲けさせるために開発された商品なんだから,まずは「利益構造を確立しよう」と考えたに違いない.そこで Flash が邪魔になる可能性があったから,Flash の複数の問題点を挙げて排除キャンペーンを張った.「iPhone の Flash 非対応」という結論を「生成した論理」は「利益構造を確立するため」だったけど,それを「正当化する論理」は「Flash は脆弱だから」にすり替わった.そしてこれは iPhone に限らず,常に起きている「世の中のダイナミズム (←東さんの言葉を借りた)」なわけだ.

僕が考える「大人の条件」

より進んだことを言えば,これが起きることが想定されているんだけど,これができない人が多いという問題意識も,僕にはある.つまり,「お前の本音なんか知るか.お前は “お前の立場で言うべきこと” を言えよ」と思うことがある.

最近思うのは「本音と建前を使い分けられること」が大人たる条件ではないかということ.本音と建前を分けることは,人間関係を円滑にするし,社会全体を円滑にするし,つまり世界をより良くする.

人間は個人では生きてなくて集団で生きてるでしょ.そして集団は単に「個人の集まり」ではない.集団には,個対個では必要なかったものが必要になる.それが「建前」であり,それを理解することが「大人になること」なんだと思うのです.

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