理由にはニーズがある (そして,それは必ずしも事実でなくても構わない)

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理由には2通りある (…って東浩紀が言ってた)

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これは僕が作った絵じゃない↑

東浩紀の話に共感した

思想家っていうのか分からないけど、東浩紀という人が言ってたけど、この人も「普通の生まれた理由」と、「後付けで付けられる理由」の2種類あって。東浩紀が言ってたのは、物事の理由には2つあると。順当に当事者から見て、本人から見て実際にそうだった理由と、後付けの、他人を納得させるための理由ね。

要点だけ抜き出した

論理っていうのは「何かを学んでいく論理」と「正当化の論理」と2つは違うんですよ.つまり「正当化の論理」っていうのは,結果をどういうふうにちゃんとして構造化されてるように見せかけるかっていう,ある種「嘘の論理」ですよね.

例えば何だってそうだけど,私達は何かを出来るようになるときに論理で積み上げてやるんじゃなくて,いろんな訓練でやっていくわけですよ.でもそれを人に説明するときには「これこれこうでこうだ」って言うわけですよね.これは全く2つの違う論理があるわけです.

例えば法とか公共的に言葉を使うときはこの右側の,つまり「後付けの論理」ですよね.今ディープラーニングでってのは左側の,つまり「生成する論理」なんですよ.それは「どうやって出来るようになるか」っていう.

これが大事なのは,「どうやって出来るようになるか」っていうのを出来るようになった後に教えるっていうのは右側の論理がないとダメですよね.でも右側の論理ってのはもちろんそれは嘘だからそれをやってもダメで,左側の論理を学ばなきゃいけないんだけど,でも教えるときには右側の論理が必要だっていうのが世の中のダイナミズムだと思うわけ.

2017/03/23(木) 21:50開場 22:00開演 森友学園問題について言いたい事を言う生放送《東浩紀×津田大介×茂木健一郎》 (2:52:40 – 2:53:48 東浩紀氏の発言)

人間の翻訳者は理由を言える.機械翻訳は理由を言えない.

例えばなんだったか覚えてないけど、1個あるのは機械翻訳の話で。実は人工知能が役に立たない場面が多いぞという話だったんだけど。例えば機械翻訳とか人間が翻訳するでもいいけど、翻訳するときに、例えばアメリカの大統領がなんとかって発言したのを、日本語に翻訳しようと思う時に、日本語になった時って1体1対応が必ずしもあるわけじゃないよね。アップルの翻訳がりんごなのは大体自明だけど、普通は文章だから、文章のニュアンスとかを汲んで意味に即して翻訳しなきゃいけないわけだよね。

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翻訳の場面を考える

発言者の意図に即して翻訳しないといけないのは当然.人間の翻訳者が翻訳するときも、機械翻訳がやるときも、基本的には発言者の意図を汲んだ翻訳ができるよと思ってるわけだ。そこは疑ってないんだけど.そうじゃなくて,翻訳の成果物を読んだ人が、「これってなんでこういうふうに訳されてるの?」って翻訳者に聞いたときに、人間の「翻訳者は意図を汲んでこういう理由で説明したんですよ」ってことが説明できるよね.もし訳すときによく考えずに「こういうものはこうやって翻訳するだろう」というふうに、習慣的にこうきたらこう返すみたいな翻訳を持ってる人であったとしたって、訳の理由を質問されたら後付けで言えるじゃない。

人間は理由を答えられる

でも,機械翻訳の場合って、正しい理由を言えないっていうか、「なんでこうなの?」って聞かれたときにその理由が言えないことがある、って東浩紀が言ってたんだよね。ちょっと違う理由だったかな? ちょっとめちゃくちゃになってるかもしれないけど。要するに、機械翻訳は責任を持てないと。なぜなら、「なぜですか?」っていう質問に対して答えられないから。この点で東浩紀が言いたいのは、「機械翻訳は責任をとれない」という話だったんだけど、俺はこれに対して少し異なる視点で感想を持った.

機械翻訳は理由を答えられない (?)

「理由」へのニーズがある (それが事実であろうと後付であろうと,実は構わない)

このタイミングで今俺が言いたいのは、「なぜですか?」と問われたときに、理由を言わなきゃいけない場面っていうのは頻繁にあるということ.その時に実際の理由で回答したっていいし、後付けの理由で答えたっていいということが言いたいわけだね。

①人間の翻訳者はもちろん「これ,どうやって訳そうかな?」って迷いに迷ったあげく、ある日本語訳を選んで、書いて出すということをしたかもしんなくって。その場合は「こういう理由でやりました」って言えると思う.

②でも「当然こう来たらこうやって翻訳するのが普通でしょ」っていう翻訳だってあるわけだよね。そういうときに、「その翻訳をなぜ選んだんですか?」って言われたら、「普通こうだから」とか「いつもそうしてるから」とか、そういうつまんない理由を答えちゃ駄目なわけで。「なんでこうやって訳したの?」って言われたら、「こうだからです」って,たぶん後付けで理由を言わなきゃいけないんだよね。当然責任が伴ってるから、「適当です」とか「なんとなくです」とかじゃ翻訳者として失格なわけだ。

理由は信用に繋がる

なので翻訳者は:

  1. 考えてる場合には考えてる理由を言えばいい
  2. 考えてなかった場合にも適当な (適当なっていうのはふさわしいっていう意味で) 理由を答えろ

ということを考えたときに、いずれにしても理由がなきゃいけないんだよね。なぜこれがこうなっているのかっていうことに対する理由は、存在する必要があるんだよね。責任を果たすために。

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