自分自身に1つのアイデンティティしか持たないことは、誠実さの欠如の例です

普通アカウントは複数持つでしょ.

マークザッカーバーグの妄言

Facebook で1人が複数のアカウントを持つことは規定に違反する.この規定をユーザに課して Facebook の商売にどんな恩恵があるか知らない (広告精度が向上して,より儲かる?) けど,とにかくそう規定してる.規定を正当化するために,Mark Zuckerberg は「複数アカウントを保有する人は不誠実だ」と人格攻撃的に烙印を押す.

Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity.

(抄訳) 自分自身に2つのアイデンティティを持つことは、誠実さの欠如の例です。

Mark Zuckerberg : 『The Facebook Effect』 (David Kirkpatrick 著) での発言

これは本当に信じられない話だ.普通の人は,普通,色んな顔を持つ.このブログの指摘が本当にその通りで,いくら賛成してもしきれない.

Individuals are constantly managing and restricting flows of information based on the context they are in, switching between identities and persona. I present myself differently when I’m lecturing in the classroom compared to when I’m have a beer with friends. I might present a slightly different identity when I’m at a church meeting compared to when I’m at a football game. This is how we navigate the multiple and increasingly complex spheres of our lives. It is not that you pretend to be someone that you are not; rather, you turn the volume up on some aspects of your identity, and tone down others, all based on the particular context you find yourself.

(訳) 個人は、自分の置かれた状況に応じて、情報の流れを常に管理・制限し、アイデンティティとペルソナの間を切り替えています。私は、教室で講義をしているときと、友人とビールを飲んでいるときでは、自分の見せ方が違います。また、教会の集会に参加しているときと、サッカーの試合に参加しているときとでは、少し違った自分を演出するかもしれません。

このようにして、私たちは複数の、そしてますます複雑になっていく人生の領域をナビゲートしているのです。自分ではない誰かのふりをするのではなく、自分のアイデンティティのある側面の音量を上げたり、ある側面の音量を下げたりして、自分が置かれている特定の状況に応じて調整するのです。

Facebook’s Zuckerberg: “Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity” – MichaelZimmer.org

人の言葉じゃなくて,僕の言葉で説明するならこう.顔の使い分けは高度に社会的な行動で,積極的に歓迎すべき行動様式だ.繰り返しだけど,普通の人は普通に複数の顔を持つので,「使い分けをなくせ.常に完全に同一な “自分” であり続けろ」というのは無理筋だ.

アカウントはむしろ,「使い分ける」ほうが正しい

使い分けができない人々

そもそも状況に応じた発言ができないのは困る.「本音ではAと思ってるけど,この場でAとは言えないな.Bと言おう」みたいな判断が必要な場面は存在していて,そんなときでも状況を読まずになりふり構わず「俺はAだと思ってるんだからいいだろ.なんか悪いか」みたいな態度を取る人がいたら,それは間違ってる.

本音ではなく建前を重んじるべき文脈がある

例えば政治なんかまさにそれで,Aと思っていてもBと言わなければならない場面なんて無数にある.特定の誰かに不利益な事実を正当化しなければならないときもあるし,逆に弱い立場の人を守るために強者の譲歩を引き出さなければいけないときもある.政治では「この文脈では,こういう立場からこういうことを言わないといけない」ということは常にあって,その時の発言者の「本音」には何の価値も意味もない.言うべきことを言うしか無い.それが「役割を果たす」「責任を果たす」ということでしょ.

津田大介×東浩紀 月イチあずまんフォーエバー 2018年12月17日放送 J-WAVE JAM THE WORLD – YouTube

しかし上の動画で東浩紀が指摘するのは,日本の政治家はもはや「文脈上,立場上,求められて然るべき建前」を言うのをやめて,「俺は本音でこう思ってるんだ,なんか悪いか」という発言を始めているということ.社会活動において最も基本的な重要事項である「顔の使い分け」ができてないんだから,これが政治家の劣化でなくて何なのか,という指摘.

日本って結構メチャメチャな国だったっていうのが,今までは一応隠して建前をやっていたんだけど,今年は本音で表面で語られるようになって,しかも国民をそれを受け入れている

津田大介×東浩紀 月イチあずまんフォーエバー 2018年12月17日放送 J-WAVE JAM THE WORLD – YouTube

政治家だって,家庭とか友達には本音で話したっていい.「俺は職業上Bと言わざるを得なかったが,本当はAと思ってるんだ」ということを家族や友達に話すのは問題ない.「公人としての自分」が言うべきことを言わないのは当然ダメだけど,「私人としての自分」はもちろん思ったように発言すればいい.公人の自分と私人の自分をきちんと切り替えられるなら,言って良い場面では好きなことを言えばいいさ.そのために「顔の使い分け」はある.

要するに: 顔の使い分けは大事

人間は最初から,社会生活の中にアカウントを複数持って,それを使い分けてるようなものなんだよね.Facebook の「アカウントは1人に1つ」という規定は自然に反するし,人間社会の実像にも反する.Zuckerberg の言ってることは完全に間違っていて,むしろ「自分自身に1つのアイデンディティしか持たないほうが,誠実さを深刻に欠いてる」と僕は思う.

本音と建前の迫真のシズル

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