「見る」と「観る」の違い

「モノを見る,コトを観る」.これだ.
「モノを見る,コトを観る」
「モノ」と「コト」を,詳しい言葉で区別すると,「具体名詞」で表すのが「モノ」で,「抽象名詞」で表すのが「コト」かな.「モノ」はだいたい触れる.例えば「鉛筆」とか「消しゴム」とか「紙」とか「机」とか.「コト」はだいたい触れない.
例えば「親切」とか「平和」とか「野球」とか「コンサート」とか.でも触れるかどうかが唯一の判定基準じゃない.他にも「指し示せるもの」は「モノ」,「指して示せない」のは「コト」とか.例えば「文字」は「モノ」.形あるものは「モノ」,形のないものは「コト」.絵に描けるのが「モノ」,絵に描けないのが「コト」.
普通,「親切」を目にしたり,「平和」を目にしたりすることはないから,この場合は「演劇」とか「映画」とかを指すと思ってほしい.比喩として「親切をみた」と言えないことはないけど,それは飽くまで暗喩的な表現だと解釈します.比喩を用いずに表現すれば,「親切をしている『人』をみた」,あるいは「親切が行われている『場面』をみた」ということになる.そして,この定義に従えば,「人」については「見る」を,「場面」については「観る」を用いる,ということになる.
具体的には?
「お花見」を「お花観」と書くことは(たぶん)ない.それは「花」という「モノ」を見てるから.「お月見」も同じ,「月」という「モノ」を見てる.コップをみたり,遺跡をみたりするときに,「見る」が用いられる.それは触ることのできる「モノ」を見てるからね.遺跡の見学はまさにその通り,「見てる」.
一方で,映画や野球をみたときは「観る」を用いる,と説明することが多いと思う.映画館に設置された「銀幕」をみたとか,野球をする「選手」や「バット」をみたと言うよりは,銀幕に映された「物語」をみたり,選手が繰り広げる「試合」をみてる.だから「観る」.野球は「観戦」するしね.
これじゃあ主観的だって?
その通り.この判定は,かなり主観的だね.でも主観以外で判断する意味が無いよね.自分で文章を書くときに,「さて,俺はあのときモノをみたのか?それともコトをみたのか?」と顧みればいいだけの話だから.「走っている彼を見た」なのか,「彼が走っているのを観た」なのか.この2つの表現にはニュアンスの違いを感じると思うけど,その微妙な差異こそが「モノ」をみたのか「コト」をみたのかの違いだよね.