【下書き】道徳は無意味じゃない

とある記事に対して反論を書きます.
toi

記事の主張を簡単にまとめると

学校での道徳教育は本当に必要なのか – 本たすコンパス という記事を読んだ.とても刺激的な内容で,問題提起も面白い.内容を端的に言えば,「道徳の授業は不要なのでなくそう」.僕はこれを,とても短絡的で軽率な意見だと思う.問題のある箇所を丁寧に列挙して,最後に僕の考えを示そう.

1,道徳の指導要領は下らない?

道徳の学習指導要領を記事から引用する.

  • 道徳教育は教育の中核である。
  • これまで受け継がれてきたルールやマナーを学び、自分なりの考えを持たせる。
  • いじめ問題の対処の一つである。
  • 道徳教育の目標は「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ということ。
  • 評価は数値化しない。

件の記事の筆者は「長い.回りくどい.意味分からない」と非難している.でもそれは「学習指導要領の文章が読みにくい」という意味であって,「道徳の授業が不要だ」という主張の根拠になってない.文章の読みづらさを好き嫌いで評価するのは構わないが,「学習指導要領の書き方がなってない!だから道徳の授業は要らない!」と主張する気なら全く見当違いだ.

2,「道徳」という単語の意味の範囲は?

件の記事の著者は,反語で曖昧に「授業で命の大切さを教えることは不可能である」と示唆してる.その根拠は「僕自身はそうでした。」だそうだ.彼の体験一つが道徳をやめる理由なんて,それは明らかに不十分.それで全てを説明できないでしょう.

もっと高度なことを教えたい、道徳を教えることの改善の余地や可能性を信じたいという気持ちもわからなくはないですが、それは道徳の範囲を逸脱しています。

件の記事の著者は「道徳」の語義を,かつての官僚が規定した意味でしか考えられてない.つまり,カリキュラムに書いてある通り.小学校で教わった通りの「道徳」しか知らない.でも本当の「道徳」の意味は凄く広い.果てしなく広い.Googleによれば,道徳とは「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」とある.
doutoku定
明らかに「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準」は,友情と命の大切さに関するものを含むだろう.しかし,決してそれだけしか含まないということはない.差別の問題,死刑の問題,忘れられる権利の問題,人工知能の著作権,自動運転車の事故の責任の所在,などなど.何を「正しい」として,何を「間違いである」とするのか,議論するべき問題は無数にある.
当然その中には「友情の重さ」とか「命の大切さ」も含まれる.でも,それだけじゃないし,それ以外が占める割合のほうが大きいとさえ思う.それなのに件の記事の著者は「それは道徳の範囲を逸脱しています」と言う.完全に義務教育に洗脳され,「道徳」の語義を見失った好例だろう.

3,部分的には理解できる主張もある

彼の主張の中にも,同意できる主張がある.

  1. 「二ひきのカエル」という話を読むのは無意味
  2. 現在の道徳教育は的を得てない

これらには同意する.つまり,
「例として挙げられている「2匹のカエル」の寓話を読むのは無意味.もっといい教材があるはずだ」ということと,「このままでは問題がある」ということ.
上記の2点は同じ意味.彼と僕との決定的な意見の差は「道徳の授業を改善することが出来るのか?出来ないのか?」という点.そして彼は「改善することは出来ない.従って道徳教育を廃止すべき」と言い,僕は「改善することが出来る.廃止すべきでない」と言っている.
4886
確かに蛙の寓話は全く意味不明で,これで何かを読み取れという方が無理がある.もし先生が教壇に立ち,「今日は命の大切さについて学びましょう!」とか言いながら授業を始めるなら,これほど退屈な授業は無い.
だって,もうこれから1時間で何が起こるのか完全に予測可能だから.授業の終わり頃に「命の大切さがわかりました.」とか感想文書けば100点もらえる出来レース.これじゃ知性は育まれない.だからカエルの寓話は意味ないし,これをするくらいなら算数を教えたほうが日本の国際競争力は向上するでしょうね.

4,では僕自身の意見は?

僕は道徳の授業を廃止するべきでないと思う.これは件の記事の著者と異なる意見だ.しかし,現在の道徳の授業に問題がないとは全く思わない.これは件の記事の著者と同じ意見だ.そして,僕独自の意見としては「道徳の授業を改善したほうがいい.もっと”道徳”を教えるべきだし,考えさせるべきだ」ということ.
命の大切さとか,友情の大切さとか,そういうのって教わるまでもない.ほぼ絶対的に正しいからね.もちろん教える必要が無いとは思わないけど,「ハイハイ分かりましたよ,大切ですよね.知ってる知ってる」ってなるのがオチ.作文とかしても出来レースになるだけ.繰り返し説いて諭す必要はない.だって議論の余地がないから.
toi
それよりももっと喫緊の道徳の問がたくさんある.

  • ヨーロッパでは死刑制度がほとんど廃止されたけど,日本には残ってる.それは妥当なの?
  • 過去の刑事罰を受けた事実がネット上を永久にさまよって,再就職に不利になる場合がある.忘れられる権利が人権として認められていいかも?
  • 日本ではカジノは違法だけど,マカオでは合法だよね.どうして?日本ではなぜダメなの?
  • パラリンピックに義肢を装着した選手が出場するけど,それはいいの?ドーピングと何が違うの?そもそもパラリンピックはなぜ行われるの?
  • クローン羊の「ドリー」は作られた.なぜ人間のクローンを作らないの?同性同士でも,細胞をiPS細胞化すれば子供を作れるよ.それは許されることかな?

「何を良しとして,何を悪しとするか」の基準が道徳.どの人にも共有されるべき道徳観も存在するし,人によって,時代によって,地域によって異なる道徳観が存在することもある.問題は無数にある.それを取り上げて,思考の糧にするのが道徳の授業の本質だ.「考え尽くす」必要はない.「考え始める」ことが重要だ.小学生に,その機会を与えることは重要なことだ.それを奪うのは,知への冒涜だね.

コメントを残す

Powered by WordPress.com. テーマ: Baskerville 2 by Anders Noren

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。