【道徳】授業に欠けてるのは「答えのない問い」

「まだ答えのない問いを考える」
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「道徳」,僕の改善案

僕は「道徳の授業は下らない.だから改善すべきだ」と考える.この考えは,前回引用した「学校での道徳教育は本当に必要なのか – 本たすコンパス 」の意見と半分は一致し,半分は一致しない.引用の記事では「道徳の授業は下らない」という点で僕と同じ考えだけど,「だから改善すべきだ」とは考えていないらしい.むしろ「下らないから廃止すべきだ」と言っている.
「下らないから廃止」を唱えるのは軽率で短絡的な意見だと思う.僕はそれを前回の記事で指摘した.しかし,僕は「どのように改善すべきなのか?」について語ってない.今回の記事ではそれについて語ろう.端的に言えば,「まだ答えのない問いを考える」.これが現在の道徳の授業に欠けていることで,これを追加すべし,という意見だ.

問うべきは「●●は是か非か」

道徳の問いは常に「●●は是か非か」という定式で表現できる.なぜなら「道徳」とは「良いことを為すこと」であり,そのためには何が「よいこと」で何が「悪いこと」なのかを定める必要があるからだ.「●●は是か非か」と問うとき,●●は道徳的に「いいこと」なのか「悪いこと」なのかに結論が出る.
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現行の道徳の授業で扱われる問いは,たいてい「友達を大切にすることは是か非か」「命を大切にすることは是か非か」「暴力を振るうことは是か非か」のような,ほとんど議論なしに結論を出せそうな問いばかりを扱う.それが現在の道徳授業の退屈さの根本原因であり,くだらなさの根拠だ.

まだ答えのない「●●」を問え

真に知性的な子供を教育しようと考えるなら,答えのない問いを考えさせる機会を与えるのがいい.例えば「妊娠中絶は是か非か」とか「人間のクローン作成は是か非か」とか.これらについても僕は固まった意見を持ってるから,僕にとっては答えのある問い.でも,普段からこんなことを考える小学生はまずいないと思うから,わざわざ「道徳」の授業で扱って,知ってもらう・考えてもらうのに十分な価値のある議題だ.
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他にも以前の記事でいくつか例を挙げたね.

  • 死刑制度は是か非か
  • 忘れられる権利を人権に含めることは是か非か
  • カジノは是か非か
  • パラリンピックの義肢装着選手の出場は是か非か
  • 民泊は是か非か
  • 白タクは是か非か
  • ヘイトスピーチは是か非か

これらは現実に起こっている問題・懸念であり,「是か非か」を問うべき価値のある議題だ.こういった実際上の問題を取り上げずに「道徳」について考えさせるほうが無理があると思う.

善し悪しの基準に挑む

既に答えのある問いばかりを扱うから,小学校でやる道徳の授業は退屈で,知的刺激に欠ける.しかし,それはそもそも「道徳」のごくごく小さな一部しか取り扱っていないことによる結果.本当は広く深い「道徳」の問いのうち,瑣末で考えるに値しない問いを扱っていることによる結果.
まだ答えのない問いは無数に存在する.それらを考えることは知への挑戦だし,知的な刺激を多分に含む.そして,答えのない問を考える経験が議論の素地を養うし,思考能力の向上をも促す.「道徳」の授業ではまさにそのような内容を扱うべきだ.

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