はたらくこと

人間は労働する。それは労働の対価に賃金を得て、その賃金を生活の資金にするためだ。
2013-01-08-0-48-18


それで、僕は労働の動機には2つ種類があると思う。「やりたいことを仕事にする」と「できることを仕事にする」の2種類。こういうのは動機とは言わないかもしれないけど、適切な日本語が思い付かないからひとまず動機と呼びます。

  1. 「やりたいことを仕事にする」は「趣味を仕事にする」と似てるかもしれない。この型の人間は「仕事をするのが好きで好きで堪らない。楽しくて楽しくて仕方がない」そういうふうに考える。もちろん仕事の対価を要求するけれど、それは単に生活にする上で必要だから。お金がなくても生きていける世界だとしても、この仕事をやり続けたい、くらいに思ってる。なぜなら仕事そのものが楽しいんだから!生き甲斐を仕事から見出してる。
  2. 一方、「できることを仕事にする」という人は、仕事に生き甲斐を見出さない。と言うととても消極的な生き方に聞こえるけどそうじゃなくて、人生の楽しみは仕事以外から享受する。仕事は仕事。趣味は趣味。それらがほとんど交差しない。仕事は特段楽しいものではないけれど、それを辞めてしまったら収入が途絶えてしまう。収入が途絶えたら生活に先立つものがなくなって困る。だから仕事をするのを辞めない。仕事に関してはその程度の認識を持って、ある意味で割り切った考えをしてる人。生き甲斐や趣味と、仕事を完全に切り離した生き方。

もちろん統計を取ったわけでは全然ないけど、この分類に則れば後者の働き方で生計を立ててる人が大半だと思う。歌手や俳優の夢敗れて別の仕事をしたり、特に夢や趣味を持たずに就職してしまったり。この型の人が不幸だなんて全然思わないよ、もし仮に「仕事以外の何らかで、きちんと幸福を感じられる生き甲斐を享受している」とするならね。
ただ、後者の「できることを仕事にする」型の職業選択は不自然さを感じる。お金は生計を立てるのに必ず必要で、お金を手に入れるためには労働、仕事が不可欠なんだよね。これは洋の東西を問わず、時代の新旧も問わず、古今東西で普遍なこと。人間は誰も労働から逃れることはできないんだよね。
人生でやらなきゃならないことが1つ決まってるんだから、そこから生き甲斐を見出せたら人生が煩瑣にならない。避けて通れない「労働」なら、生き甲斐を見出さないのは勿体無い。避けて通れない道を楽しまないのは不自然だ。
人間は食べることを避けられない。寝ることも避けられない。拒食症と不眠症の例外を除けば、人間誰もが食事と睡眠を肯定的に捉えてるよね?「食べることは楽しい」「寝ることは嬉しい」と言った具合に。同じように、人間は働くことを避けられない。ならば「働くことは面白い」と思わない手はないよね?
能力の欠如で希望の職業に就けない、という現実は確かに存在する。誰もが東証一部上場の一流大企業に採用されるわけじゃないし、誰もがオリンピック選手になれるわけじゃない。それには努力で解決できる問題もあるけれど、努力ではどうにも解決できない問題もある。だから「誰もが『やりたいことを仕事にする』という訳にはいかない」ということは理解できる。
この記事で言いたいのは「誰もが『やりたいことを仕事にする』ことができたら、人間はもっと幸せ」ということ。「やりたいことを仕事にする」は叶わず、「できることを仕事にする」となってる人は現実にたくさん存在するだろうと思うけど、そういう人は仕事以外から生き甲斐を見付けられたら幸せだね。でも、それは一手間増えてる感じが否めない。どうせ避けて通れない「労働」、それを生き甲斐にできたら人生は楽しいだろうと思う。
これについてはほんの3ヶ月程度思案してまとまった考えだから、今後僕の人生が新しい局面を迎えることによって発想が転換する可能性は大いにある。ただ、今はこう思う、ということ。

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