公共空間は,より明確な機能が求められる存在へ

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これは,2011年,大学3年生だった僕が授業「ランドスケープ概論」の課題レポートに書いた文章.おそらく趣旨は「庭 / 広場 / 公園といった空間は,時代を経て明確な機能を求められるよう変化した」ということだと思う… けど自分でも何を言ってるのか良く分かってない笑.特に最終段落の言葉遣いはやけに抽象的で難解だ.まさか配布資料のコピペじゃないよね? (覚えてない笑)

このレポートを転載するに当たって段落の見出しを新たに書き加えたけど,これが本当に当時の僕が言いたかったことなのかは確かじゃないです.でも合理的に解釈しようとすると,少なくとも今の僕にはこういう風に読み取れるんだよね…🤔


現代の都市ランドスケープについて考えることをまとめる。ランドスケープ、つまり景観ということを考えるとき、土地の特性はもちろんであるが、建物の配置、建物の外観を調整することが大きな役割を担っている。そこで庭や広場、公園についてのランドスケープ構成における役割を考えてみたいと思う。

儀式的役割を明け渡し,個人消費に適合した庭

まず第一に庭の役割を考える。庭という言葉は本来、神事、狩猟、農事などを行う場所や、波の平坦な海をも指し、古くは何かを行う平らな場所という意味の言葉であった。なかでも古来の意味を汲み取るには神事という観点からの分析が最適であるように思う。神事とはつまり神道における宗教活動のことに他ならないが、神事の影響から庭の概念が発生した。

本来の意味での「庭」を構成する要素は神道的であったといえる。それが時代と共に変容、変遷し、現代のような「住宅に付属する空間」という位置づけになっている。庭の構成を改めることで、その街の景観は大きく変わることが予想されるし、庭が持つランドスケープへの影響力にはこれからも注意していきたい。

軽視されてきた広場の使命と今後

次に考えてみるのは広場という存在である。現代の資本主義社会において広場という存在は、個人単位では非常に実現可能性が低いと思う。つまり個人が土地を所有してそこに噴水や彫刻など装飾品を配置し、市民を対象に開放するということを行うのは難しいということだ。難しくはないが、利益の発生しない活動なので、原理的に言えば自ら進んで実行する者はいないと考えられる。そこで重要になってくるのが公的機関である。市(区、町、村)土地を買取り、その上で広場を構成して開放することが広場の実現には欠かせないと思う。

しかし現状では日本では広場として市民が自由に集まり自由に活動を行えるような空間はかなり少ない。私は昨秋にフランスのパリへ観光旅行をしたが、パリの街にはコンコルド広場という非常に広い広場が市民を対象に開放されており、私が訪れたときも多くのフランス人がめいめいの時間を有意義に過ごしていたのをとてもよく覚えている。またコンコルド広場だけでなく、チェイルリー庭園などの公園も多くの市民の憩いの場として有効な場所であり、パリの街での広場という空間の充実性を強く認識したものである。

今後、われわれが街づくりを行う際は広場というものの重要性にも注意していくべきである。パリとの比較で言えば、日本人は広場や公園という存在に疎いように思う。わたしの家のはす向かいにも公園があることにはある。しかし私自身、その公園へ休日の昼間に訪れて読書をしたり日向ぼっこをしたりということはほとんどない。しかしそれも「休日を過ごしたくなる広場作り」という観点で劣っているということに他ならない。よく整備し、清潔に保たれた公衆便所や、鬱蒼としすぎない程度の植樹などが鍵であるように思う。私の家のはす向かいの公園では、空が見えないほどに大きな木が鬱蒼と植えられている。それは休日に足を運びたくない要因の一つであるように思ったからだ。

自然存置から市民志向へ拡張される公園の意義

公園についての考察は、その多くを広場の考察に重ねてある。ここではより深く、訪れたくなる公園作りについて考えてみる。

まず第一に、なぜ公園を利用するべきかについて整理する。公園は言うまでもなく公共の空間であるから、公園を多く利用することで近所づきあいが強化されることを期待できる。先日の震災の例でも見られるように、地域の硬い結束はいざというときに必ず役に立つものであるから、日々備えておくことが望ましいであろう。

また公園の利点として、屋外に出ることで肉体的、精神的な健康をはぐくむことが出来るであろう。これもまた重要である。

次に利用したくなる公園作りを考えてみる。先述のように、空が見える、公衆便所が清潔である、という二点はもちろん重要であると思う。他にも挙げられる点としては、日陰がある、腰を掛けられるものが多くある、衛生的な水道がある、必要以上に公園を柵で囲わない、などが考えられる。日本では、殊に東京では、パリのチェイルリー庭園のような大空間を用意するのは容易でない。そこで空間を広く見せるべく、空を開放し、周囲を囲う柵を撤廃する。長時間の滞在に堪えるように座れる場所を多く確保し、日向、日陰のバランスを巧妙にデザインし、水道、便所を清潔にしておく。以上のようなことが具体的な改善策のように思う。

公共空間は,より明確に機能を追求する存在へ

最後に、意味についてランドスケープ的な観点から述べる。ランドスケープから見る意味とは、空間の持つ意味のことである。かつて思想的であった空間が、その思想を脱却し、現代では目的の空間となっていることがある。しかしこの変遷は必ずしも一概に喪失の軌跡であるように私は思わない。空間に対する人類の意識の変化が顕在化し、時代のニーズに合わせたデザインが行われた、というように私は認識する。空間はある意味で有限の資源であり、いかに効率よく消費するかを念頭に構成すると、自然と現在のような目的的な空間構成が合理的であるという結論に至るのではないか。

しかしここで肝要なのは、中途半端になっていないか、ということである。効率を目指し構成するのであれば、最善を求めるべきである。もちろん言うのは簡単で、最善など実現は不可能かもしれない。庭、広場、公園と、住居空間よりも共有空間について考察してきたが、ここでも最善の目的を追求し、市民が幸福に生活できるような空間を考えることが重要である。そしてこれは、景観の観点からの意見であることも忘れてはならないだろう。

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