2026 年、人魚ブーム!今こそ江戸の人魚を温故知新 – 書評 2026 Q2
今年は […] 本気の人魚ブームがくることは間違いありません。
みうらじゅんの映画チラシ放談(第167回) – ぴあ映画 (強調 筆者)
2026 年、あちこちで人魚ブーム到来の気配を感じる。映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』の公開から、江戸時代の人魚図を展示する大田記念美術館の企画展『アニマル&モンスター かわいい・怖い・ちょっと変』まで色々と。
この緩やかな流行にあやかって紹介したい本が『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』。これは、江戸時代に活躍した浮世絵師 鳥山石燕 (Wikipedia) が描いた妖怪の画集 全 4 巻の全集。石燕による人魚のイラストを載せた『今昔百鬼拾遺』(1781) も収録する、見ごたえある一冊だ。
あなたは、日本在来の人魚のイメージを知ってるだろうか?人魚と聞いてまず思い浮かぶのは、西洋的な像かもしれない。上半身が美しい女性で、艷のある長い赤髪。貝殻を身に纏い、美しい歌で船乗りを海底に誘う。そんな西洋的な人魚とは少し違った、江戸の人魚を訪ねてみよう。
『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』

上図右が、鳥山石燕が書いた「人魚」。ドーンとイラストが真ん中にあり、左上に注釈が書かれてる。この注釈文の大元の出典は、前 4 – 3 世紀に中国で書かれた地理書『山海経』と思われる。文中の建木とは、中国の伝説にある巨木で、天と地を結ぶ神聖な樹だそう。
建木の西にあり。人面にして魚身、足なし。胸より上は人にして下は魚に似たり。是氐人国の人なりとも云。
鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集
前述の通り、西洋的な人魚像とはひと味もふた味も異なるね。下半身の魚っぷりは西洋的な人魚像に通じるところもあるけれど、上半身はかなり違う。トカゲのような顔つきで、髪はボサボサ。指に水掻きを張り、胸や肩、腕に鱗を生やす姿は、魚か獣のようだ。
もしかすると日本における伝統的な人魚像は、石燕が描いたこの人魚だったのではと想像してる。というのも、全 4 巻の画集で 200 強の妖怪を描いた石燕は、「この妖怪といえば、この見た目」という標準を打ち立てた人でもあるからだ。
例えば妖怪 獺。現代の妖怪絵師 水木しげるはこれを、ボロい着物と笠を身に着け、手に提灯と桶を持つ獣の姿で描いた (参考 YouTube)。これは、間違いなく石燕の獺から影響を受けてる。水木しげるに限らず、ググって見つかる獺のイラストはどれも、石燕が『画図百鬼夜行 陰』(1776) で提示した獺のイメージに基づいてる。江戸時代から受け継がれる「妖怪のイメージ」は、石燕が確立したものなのだ。

妖怪とのセレンディピティを愉しむ
ところで、この本に買う価値はあるだろうか?事実、本を買わなくてもイラスト自体は国書データベースで見れるし、注釈も書き起こしてくれる奇特な方がいる。しかし、それでも間違いなく買う価値があると考える。それは、目当てでない妖怪とのセレンディピティが得られるからだ。
本を手元でパラパラと捲ると、思いがけない出会いがある。僕にとってそれは『今昔画図続百鬼 晦』(1779) の加牟波理入道だった (下図左)。曰く、大晦日の夜にトイレで呪文を唱えなかった人の前に現れる妖怪だとか。名前からして面白いよね。
大晦日の夜、厠にゆきて、がんばり入道郭公、と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠神の名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日の談なるべし。
鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集

妖怪には恐ろしい側面もあるけど、全部がそうとも限らない。ただ面白かったり不思議だったりする現象に、妖怪の姿形を与えて説明を試みる側面もあったりする。「なるほど、昔の人は家がギシギシ軋むのを、妖怪の仕業と捉え直していたんだな」とか。こうした発見も、本書の楽しみ方の一つだろう。
この本で対峙するのは、情報じゃなくて芸術だ。ただ情報としてサクッと消費するだけならオンラインでも足りるかもしれないが、画面だけではなかなか印象に残りにくい。お気に入りの妖怪に出会うためにも、本書を実際に手に取って、江戸に花開いた妖怪文化を訪ねてみては。
次に言及する本は未読了だけど、本の読み方に個人的な発見があったので書き留めたい。
目的に合った読み方でいい。先入観を捨て、自由に読む
読書の目的に立ち返って、目的に合った読書をするのがいい。そう感じたのは『すごい Haskell 楽しく学ぼう!』(以下、『すごい H 本』) を読み進めていたとき。この本を買った 2021 年頃「プログラミングを勉強するなら、とにかく書くべし」と思い込んでいたから、当時はコードを書きながら読んでいた。
でも『すごい H 本』を、コードを書かずに読んだって良い。実際そのように、ある意味で “座学” 的に読む人もいるらしいことを知った。Podcast『ムーザルのプログラミング絶望ラジオ』の、むーさんがその人。
むー「先に言い訳というか共有しておくと、僕こんなに Haskell が好きだって言っておきながら、コード書いてないですw」
zaru「そうだよねw だってさっき鉛筆と紙でやってるって」
ムーザルのプログラミング絶望ラジオ #26 (14:40 あたり)
僕の目的に照らすと、手を動かさず読むだけの座学で正解だったのかも。僕が Haskell を学ぶ動機は、概念と知識を拡張すること。もし Haskell をガリガリ書く職業 programmer なら書いて学ぶのが良いでしょうけど、僕はそうではない。なら、読み通せれば十分だ。
この四半期に『すごい H 本』を読んでるとき、読むだけでコードを書かないなんて邪道かもと不安だった。けど、そうする人もいると知って、驚くと同時にちょっと安心したよね。2021 年から 5 年経って、目的に応じた読み方を選べるようになったのは、読書が上達したからかも (言い過ぎかw)。
