青梅の実

坂を転げ上ってゆく彼女の姿を見た。かのニュートンの発見した万有引力に逆らっているこの光景は、およそ不自然に見える。私は今、先ほど飲んだものよりもずっと甘くて苦い、愉悦と後悔のカクテルを飲んだのだ。
黒いアスファルトで塗り固められた東京の大地に、たくさんの温かなヘモグロビンが舞い降りる。恐らく15.9g/dL。女性にしては多めであるのが、そこに咲く紫陽花のような赤い色をなしている理由なのだろうか。
ぐいと踏ん張り力んでいた右足から力を抜き、少し右へと滑らせる。先ほどの彼女のときと違って、ニュートンの法則が私を無視することはなかったが、今度はクリープ現象の影響と重なり合って、その働きを感じない。その代わりと言おうか、再び右足をそっと踏み下ろすと、背中は軽く加速度を感じた。
私は家に着く直前にふと、この家は誰のものになるのだろうかと考えてみる。残された服や化粧台や庭の植木。彼女は几帳面で、折を見ては庭を綺麗にしていたから、外からはとても整った家に見える。
これから私のすることは、庭の木に生った麗しい青梅の実をいくつかもいで口に運ぶだけ。そうすれば私も晴れて彼女と同じ側の人間だ。短針が二回りするごとに、あの煩わしくわざとらしい、東の空のほの明かりに憂鬱することは二度とない。

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