【大きな目標】僕はどうなりたいの?

僕の壮大な目標を簡単に説明しよう.(長文です)

後方互換な成長
人生のテーマが決まってると,行動の指針として役に立つよね.そうでなくても目標があることで僕は何となく心強く感じます.もちろんぶれていい.撤回することもあるし,修正することもある.でも,少なくとも今は「こうありたい」と願っていますという目標がある.
それは「後方互換に成長する」ということ.言い換えると,「成長前の自分を損なわずに,成長後の状態へ移行する」という感じかな?よりややこしくなった気がしないでもない…この「後方互換な成長」という標語を,僕はすごく端的に言いたいことを表現していると思っている.だから目標・標語・スローガンとしてとても気に入ってる.だから変にごまかして言い換えせずに,「後方互換な成長」そのものを説明する.
「互換」は4種類ある.前方互換,後方互換,上位互換,下位互換.当然それぞれ異なる意味を持っているけど,「後方互換」を説明すると「古いシステムの規格を、新しいシステムが扱えること」.これを「僕」という人間に当てはめるなら,「古い僕の状態を,新しい僕が扱えること」と言った感じかな.
少し具体的に
僕はかつて10歳だった.10歳には10年生きただけの知識があって,10歳が置かれる環境(小学校,習い事,家庭,友達…)にいて,10歳で持ちうる世界観を持ってる.でも今の僕は10歳じゃない.とすると,僕はかつて持っていた「10歳の世界観」を失っているんだろうか?
10歳に限らない.11歳の世界観,15歳の世界観,18歳の世界観,20歳の世界観は違う.それぞれ目前の問題が違って,違うことに悩み,違うことを楽しみ,違う音楽を聴き,違う友達と遊んでいた.僕はそのときどきで全然違う人格を持っていた.幼稚な人格,ふてくされた人格,青い人格,熱い人格,などなど.
その経験を単なる経験として過去のものにするのは勿体無い.持ち得た多くの人格を一過性のものにするんじゃなくて,いつでも思い出して再現できるような人間になれたら面白い.今の僕が何かを経験したときに,「10歳の僕ならこれをどう思う?」「18歳の僕なら?」「20歳の僕は?」を同時に考えられたら視野が広がる.

かつて持っていた人格を捨てるんじゃなくて,維持する.25歳になってもゲームするし,風呂に潜るし,見付けたナメクジを捕まえて観察する.幼稚さを持ち続ける.一方で,年齢相応の精神・知識も獲得して増やす.たくさん本を読むし,目標を設定して努力するし,日々の課題を最速・最効率的にこなす.幼稚さを維持しながら,成長もする.
動機の説明(下手です…)
上記が僕の目指す姿.「後方互換な成長」とは,こういうものを指してる.じゃあ,なんでそうなりたいのか?
これに思い至った初めのきっかけは,「ゲームで遊ぶとは何か」を考えたことだった.僕が小さい時(主に小学生の頃)はよくテレビゲームをして遊んだ.1日じゅうゲームしてる日もあった.一番すごいのはクラッシュバンディクー2を1日でクリア率100%にしたことと,たった数時間でルイージマンションをクリアしたことかな.
でも大人になるとゲームってしなくなると思う.する人が減ると思う.そうでなくても,おにごっこしたりかくれんぼしたりする機会は減る(なくなる).大人になると遊ばなくなる.でも,大人が遊ばないのは,遊びが必要ないから遊ばないんんだとは思わない.大人にとっても遊びは必要なんだけど,社会的な要請とか時間的な制約のせいで,心を解放して遊びに没頭することを封じられてるんだと思うわけです.
本当は遊んだほうがいい.「遊んでもいい」じゃなくて,「遊んだほうがいい」.大人になると,子供の時にはなかった状況に置かれるから自然と行動が変わるんだと思う.行動が変わると性格が変わるし,そうすると人生が変わるね.なんか大きいこと言ってるな俺.
変わる.でもなくさない
変わることはいいことだと思う.でも,取り戻せなくなるのって惜しいと思う.大人になってから遊んでもいいのに,意固地に硬派になって「今どきの若いのはけしからん!」とか言うのってダサい.自分だって昔は若かったくせに,年取っただけで偉くなってると思ってる人もダサい.

なぜ彼らがダサいのか.自分の頭で物を考えてないからだ.「年功序列」が万物自然の法則かのように思ってる.本当はそんなことはない.年取ったって人間の価値は上がらない.人間の価値は,年齢を重ねるごとに減価償却すると僕は思う.減価償却を補って余りあるくらいに技術,知識,人格,能力を豊かに広げた人間なら,あるいは高齢でも価値があるかも知れないけど.
年を取ることは避けられない.でも精神的な若さを失うことは避けられる.新しいものに触れて,新しいものを受け入れて,新しいことに挑んで,いつでも失敗し続ける.「大人になる」は,多くの文脈で「落ち着く」みたいな印象で語られるけど,落ち着いたらダメだと思う.挑戦しない人,失敗しない人は謙虚さを欠いて,自意識が肥大化して,手の付けられない厄介な老人になる.
説明が下手だ.説明を洗練します…
つまり.僕の大前提は「人間としての価値が最大なのは,本来は赤ちゃんのときである」というもの.で,価値が減価償却しても依然として価値のある人間たるには「精神的に老いないこと」と「知識・能力・経験を増やすこと」が欠かせない.
ううむ,上手い説明になってないなぁ.これは僕の根源的な思想だから,言語化するのは大変だ.でもときどきこうして言語化する試みを記事にしてみようかな.ごめん,今回は上手く説明できなかった!目指す目的を上手く説明できなかったけど,具体的に「どうなりたいのか」と言う箇所については説明できたつもり.