宗教社会学レポート2「宗教が規定する思想と行動」

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これは,20010年頃,たぶん大学2年生だった僕が授業の課題レポートに書いた文章.いくつかブログに大学生時代に書いたレポートを掲載してる (例えばこれ) けど,これは比較的まともな方な気がする.社会行動の原理の根拠を,支配的な宗教に求めてる議論.陳腐だけど,議論されてる感じがあるね.

論旨は不明瞭だし,構成も練られてないから,見出しは今回転載に当たって追加した.見出しの追加で読みやすくなってると思う.元はそれほど良くないレポートだったけど,それでも他に比べれば良いと思うからどうぞ読んでね.


国民性と宗教について、少ないながら考察をして、まとめてみたい。特にここではアメリカと日本の性質の違いを大まかに分析する。

国民性に形を与えるエスニックジョーク

国民性というものを厳密に定義するのかなり困難であるように思う。なぜならどこかの国を引き合いにして、そこの国民を十把ひとからげに彼らはこんな性格です。と断言してしまうのは相当乱暴で、しかもあまり意味のないことのように思える。個人個人はやはり別の存在であり、まとめてみんな同じこんなもの、と言えるはずは無い。

しかし、もちろん個人は個人なのだが、確かに国民性というものが存在するのも確かな事実である。それを題材にした国別ジョークなどはかなり的を射ていて面白いものになっている。ここでは、あいまいではあるが厳密な定義はひとまず忘れることとして、一般的に言われれている国民性ジョークの一つを取り上げて、対象に考えてみたい。

考えてみるのは、難破船での船員の対応に関するジョークである。アメリカ人は「ここで海に飛び込んだらヒーローになりますよ」とか「ここで飛び込んで万が一のことがあっても保険がおりますよ」とか言われると、納得して海に飛び込んでいくらしい。このようなものの考え方には、どのような宗教の土壌があるのかを考察してみる。

なぜアメリカ人はヒーローを目指す傾向があるのだろうか。それには日本人がなぜヒーローを強く目指すようなことが無いのか、を考えてみることで分かる。日本人は周りと一緒であることに美徳を感じる国民性を持っている。それに関しての考察は後に譲るが、そこがアメリカ人との大きく重要な違いとなっている。

率先を是とする個人主義

アメリカ人は個人主義的な思想を持っていて、私は私、あなたはあなた。という意識を共有している。そしてすべての人間は平等であるということを強く感じている。そうするとなぜヒーローを目指す気持ちが大きくなるのか。それは、周りとは異なる自分を打ち出していかないといけない環境だからであろう。私はあなたと同じ、などという考えでいれば、「なぜわれわれが同じなどと言うのだろう。違うではないか」と周囲に思われてしまう。個人主義では個人を重んじるから、個性を強く打ちたてておく必要があるのだ。

個性を強く打ち立てるには何が近道か考えてみたとき、周りの人たちより先駆して行動を起こし、目立つことで個性を打ち立てることが出来る。つまり早く誰もやらなかったようなことをやり遂げて、それが私の到達だ、個性だ。と主張することが出来ればよいのである。そのためにヒーロー志向が強いのではないだろうか。

またアメリカでは成功のチャンスも平等である。何か新しいビジネスを創作し、それで成功する。そのチャンスも誰しもに平等に与えられている。だから成功するには先駆者となるのが一番なのである。

一神教と個人主義

ビジネスで成功すること、個性を打ち出すこと、この二つの要因を同時に達成できるため、アメリカ人は目立てることが好きなのであろう。それでは平等思想、個人主義は何から生まれたものであろうか、そこを掘り下げる。するとキリスト教の思想が見える。キリスト教の救いの単位は個人である。そして救われるか救われないかは事前に決まっているとする立場と、決められていないとする立場とあるが、予定説のほうで考えてみる。

神は救うものと救わないものを始めから決めている。なぜならある人間がどのような性質のものか、すでに知っているからである。そしてここから平等みや個人主義がうまれる。私は救われるかもしれないし、彼も救われるかもしれない。でも逆もありえる。相手のことを私がわかるはずもない。別々の存在なのだから、私は私で救われる努力をしないといけないし、彼もしたかったらするほうがいい。このように個人主義的に考える基礎を、キリスト教は内包していると言えるのだ。

また私は救われるかもしれないし、また彼も救われるかもしれない、と考えている時点で、私と彼は同じ人間としての主体であり、平等に扱っている。そうして平等思想もキリスト教的である言うことが出来るであろう。同じように救われ得る主体であるから平等である、そして異なる救われ得る主体であるから個人主義的なのだ。このように表現するとキリスト教が矛盾を抱えているように見えるが、決してそうではない。むしろ古代宗教でこれだけごうりてきな思想を中心にすえた宗教はなかなか多くないのではないだろうか。

多神教と集団主義

日本人は「みんな海に飛び込みましたよ」と言われると、海に飛び込んでしまいたくなる。アメリカ人とは反対に集団主義的である。これは仏教や神道や、いろいろな影響が考えられるが、ここでは少し仏教の影響を考慮してみたいと思う。

江戸時代は国教とも言えるほどに普及していた仏教、そして村単位の生活をして、村八分を恐れ、全体で同じように力を合わせることが必要であった。それが日本人の志向回路を形作ったのではないだろうかと思う。しかしこれは仏教だけの影響によらず、風土や環境なども大きく作用してこのような思想に行き着いているということを忘れてはならない。一枚岩で語れるものでもない、ということだ。

国民性ジョークを元に、いろいろ考察をしてみたのだが、これがすべてでは無いだろうし、まして日本についての考察はまだまだ甘い。これからも宗教に関する知識を増やしていきたいと本当に思うし、学習を継続することで、これからの国際社会で通用するものの考え方を見に付けていきたい。

後記: 講義の感想

ついでではあるが、私はこの宗教社会学の講義が今期の文系の中で非常に印象的で、特に興味を持った分野である。教科書を何度も見直してみるつもりであるし、まだ人文図書室に行ったことは無いが、ビデオも見てみようと思う。今まで「宗教のメリットってなに?」と、講義の最終回にあったような疑問を私も持っていたのだ。しかし世界が大きく変わった、というか宗教の考え方をはじめて知った感じがした。これからも知識を吸収していきたい。

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