古紙率偽装の倫理破綻に学ぶ、課題の透明化による不正予防

これは,2010年1月18日,大学3年生の僕が授業「科学技術者の倫理」の課題レポートに書いた文章.2008年1月に暴かれた偽装事件で,日本製紙株式会社が契約で取り決めた水準を大きく下回る古紙パルプ配合率の「再生年賀はがき」を製造していた事件 (同年7月に公開された衆議院調査局による資料が詳しい) で,「自分が主人公であったらどうするか」と問うたのがこの課題.
結論は「課題の透明化で倫理を保ち,不正の常態化を予防せよ」.困難な課題に取り組むとどうしても思考が先鋭化してしまい,大局観を損ないがち.そうした場面では思考を細く絞るのではなく,適切な情報公開で広く周囲を巻き込んで問題の解決を試みるべし,と.かなり良い考察だから,事実と推測の区別が曖昧なのが特に惜しいね.以下は目次.
- 消費者の環境意識を裏切った品質偽装の常態化
- 難問に根詰めた閉塞感が技術者倫理を曇らせた
- 課題の透明化で倫理を保ち,不正の常態化を予防せよ
消費者の環境意識を裏切った品質偽装の常態化
講義の第一回で取り扱った事例「年賀状古紙配合率偽装事件」の当事者の心理を仮想経験することにより、一口に技術者倫理と言っても、その達成は単純で易しいものではないことを改めて実感したい。また、そのような状況で生じる難解な板ばさみを理解したい。
まずこの事件の概要をおさらいする。年賀はがきに使用された紙資源は、従来古紙を使用していたのだが、その実情は「古紙40パーセント配合」の表示とは裏腹に、1~5パーセント程度であったことが2008年1月に発覚した。また酷い場合では古紙を一切使用していないにもかかわらず、その表示を謳って年賀はがきを販売していた事実もさえあるようだ。古紙の配合率を与えられたサンプルから正確に割り出すことは困難であり、そのことに付け込んだ製紙業者間では虚偽の表示を行うのが常態となっていたという。
偽装の事実が公になってからの製紙業者の取った対応は、配合率を今までの表示の通りの40パーセントにまで引き上げることだった。要するに、言ってしまった嘘を嘘でなくすために、事実のほうを追って改変することにしたのだ。また、「古紙配合率40パーセント」に無意味に執着することはせず、古紙配合率を20パーセントとした新しい年賀はがきの製造も平行して行ったそうだ。
この事例は、昨今しばしば叫ばれている、いわゆる「エコ」を逆手に取った極めて悪質な偽装事件であり、決して許されるべきではない社会悪行為であると考える。またこの悪事は年賀はがきにとどまらず、コピー用紙やノート、封筒などにも及んでいたことが次々に明らかにされたことは私にとって非常に衝撃的だった。
難問に根詰めた閉塞感が技術者倫理を曇らせた
この一連の事件の中で、なぜ技術者は古紙配合率を偽装しなければならなくなったか。製紙の工程で、資源として古紙をより多く使用することで製造した紙の品質はより低下する傾向がある。手触りやツヤなどの点で、どうしても配合率の低い紙、つまり新しい素材で製造した紙とは僅かに劣ってしまうのだ。製本などの工程で生じる中途半端なサイズの紙片は、再利用しても規定上「古紙」扱いにはならず、また新聞や雑誌など、すでに使用された、ある意味で本当の古紙を使用することは、紙にシミなどの問題を引き起こす原因となることが分かっていた。そのような切実な事情の上で、技術者たちは古紙配合率を偽装したのだろう。
技術者たちは、古紙配合率をむやみに高めると紙の品質に問題が生じることを、社内に報告できずにいた。古紙配合率が高いということは、エコ商品とみなされて消費者の購入意欲を刺激できる、魅力的なセールスポイントになり得る。そこで製紙業者間で古紙配合率の向上競争が発生してしまい、品質の低下を回避したい業者はやむなく配合率を偽装して販売したという背景があるのだろう。
この「売り上げを伸ばしたい」と「品質を確保したい」、相反する二つの目標の間で板ばさみになり、技術者たちは頭を重くしていたことだろう。一見すると二つの目標の両立は確かに簡単には手におえない問題であるが、視野を広げて考えれば「品質確保」は「売り上げ向上」に直結することが分かる。例え偽装を行い、一時の利益を優先することでライバル社より優位に立とうと、それは一過性の利益であることはいうまでもなく、非常に安易な思考法であり、結果的にはより大きな不利益を被ることが容易に、また瞬時に予見できよう。
課題の透明化で倫理を保ち,不正の常態化を予防せよ
先の技術者倫理の必要性の議論の中でも考察したとおり、直前の利益に目を奪われることは得策でない。売り上げを大きく減らす事態が生じようと、すぐには動じず、真実のビジネスのみに注意すべきであると考える。つまり、発覚しない偽装は存在せず、悪事は必ず公になるということを座右の銘とし、ずっしり構えた態度で、換言するならば技術者倫理を重く見て、製造を行うのがよいということだ。また古紙配合率などという副題に囚われず、より重要な主題である「良質な商品の提供」の達成に注力することが重要だ。
一口に古紙の再利用といっても、再生回数が重なれば古紙そのものの品質の低下は免れないし、またみだりに古紙配合率を高めることは、使わずに済む余分なエネルギーの消費に繋がり、結果的には「エコ」の理念に反してしまう。しかしそれらの諸問題も、隠匿することなく確かな事実として消費者に発表していれば、それが一業者の発表であっても製紙業界全体の事実となり、全く新しい別の競争が市場で行われていたはずである。不毛な偽装競争よりもそちらのほうが圧倒的に実利的な競争であることは火を見るよりも明らかだろう。
最終的に誰も得をしないような、科学技術者倫理を軽視した方針はどのようにせよ誤りである。このことを以上の考察の中で酷く痛感できた。その考えに則り、また上記の通りの考察により、私の技術者倫理の仮想体験としたい。
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