キリスト教の興りから今日のイスラム教まで

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これは,20010年頃,たぶん大学2年生だった僕が授業「宗教社会学」の課題レポートに書いた文章.「大学生のレポートってこんなに幼稚なんだっけ?レポートはブログじゃねえんだぞ」と思わないでもないけど,こんなもんだったっけね.

このブログ記事にレポートを転載するに当たって,YouTube に載ってる映画『パッション (The Passion of the Christ)』(2004) のトレーラー (これとか) を見返したけど,本当に残酷で胸が悪くなる🤮.見てられない.


『パッション』を観て

映画『パッション』を観た。感想は何か、と聞かれても言葉がすぐに出てこない、そんな映画だった。

まず私自身のキリスト教に関連する知識の絶対的な不足があるのだと思う。そこは素直に反省し、知識量を増やしていくように心がけたい。知識の不足のせいで、多少なりとも理解できるはずのシーンの理解を損ねたような気もしたからだ。

しかしこの映画は非常に残酷描写が多い。というよりも、全編に亘って残酷描写しかないとも言える。見ているこちらが痛みを感じてしまうような、見ていられない暴力シーンばかりで、『早く終わってくれ』と何度も思った。観終わってみて、体中がずしりと重くなった感触がした。たぶん見ている間に力んでしまっていたのだろう。

教科書を読んで得た『イエスは、罪深い存在である人間の罪を、みなに代わって贖罪したのだ』という知識だけで判断すると、なんと我々は罪深いのだろうと思う。しかし、アメリカの映画ではローマ帝国を悪とするのが常套らしく、そこは過剰に演出してローマ帝国の印象操作を行い、イエスに史実(?)よりも多く鞭打ちの刑を行っていたかもしれない。

これを観て、もっとキリスト教のことを知らなければならない、勉強しなければならないと思ったし、できれば聖書もこれからは時間を見つけて読んでみようと思った。

すこし関係ないが、この映画はあまり他人に勧めたい映画ではない。『課題映画だから』という半端な覚悟で、インパクトのあるパッケージの映画だから、という興味本位で観たが、あまりにも鑑賞後の感触が悪すぎる。悪い映画だというのではなく、少し心構えを前提にしないならば観ないほうがよい、という警告があるとよかった。

モスク見学

モスク見学をしようと思い、代々木上原にある東京ジャーミィまで足を運んだ。中にいたトルコ人のジャーミィの施設のスタッフの人たちはとても親切で、非常に快適な気分でイスラム文化を味わえ、鑑賞することができてとてもよい経験になったと思う。

ジャーミィとは、金曜礼拝に使われる大規模なモスクのことで、転じてトルコ語では一定以上の規模をもつモスクのことを意味する(Wikipediaより)。設計はハッレム・ヒリミ・シェナルプで、内装や外装はトルコから送られた資材を使い、トルコ人の職人が仕上げたそうだ。100名近くの技術者がトルコから来日して内装を行ったということで、一目でわかるトルコ風の尖塔や壮麗なドーム、ちりばめられたアラビア語カリグラフィーなどが調和していて、かなり美しい建築であった。

感想としては、大理石造りで、しかも大空間である。東京ジャーミイは、建物の上階に礼拝堂を設け、大ドームを乗せた広大な空間を確保しているのだ。やはり荘厳な趣をも持ち合わせている感じがした。トルコで一般的な形式を踏襲していて、みるからにエキゾチックな外観であり、それもまた雰囲気を演出し、私に感動を与えたと思う。メッカの方向をあらわす凹みはミフラーブと呼ぶそうだ。この方向に向かってムスリムたちは礼拝を行うのだという。トルコの工芸技術を結集させて完成されたドームを始め、カリグラフィーやタイル、床に敷かれた絨毯まで本当に神秘的で美しいモスクだと思った。

立地も比較的近郊で、行きやすいことも驚いた。このような日本とトルコの技術を合わせて建設された、日本に住むムスリムの拠り所が、日本人のイスラム理解や交流の場として重要な役割を担っていることを実感した。

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