暗黙の日本教が日本人の霊的救い

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これは,2012年,大学3年生の僕が授業「文化人類学」の課題レポートに書いた文章.このレポートが反論せんとする課題図書の主張が一体何なのか,レポートだけからでは読み取れない.もう少しマトモにするには,要所要所で本文を引用するのがいいと思うよ (←過去の自分への助言).

例によって見出しがなくて読みづらかったので,今回転載するに当たって見出しを追記しました.「日本教 (Wikipedia)」って言葉はいま目次を書くに当たって知った言葉で,たぶん課題図書では言及されてないと思う.用語の濫用だったらすいません🙇

  1. 仮に日本が閉塞状態にあるとしても,世界の閉塞は別問題
  2. 実際には,暗黙の「日本教」が日本人に救いを与えている

読んだ本: 『宗教クライシス

非常に興味深かった。私は以前に先生の宗教社会学を受講した経験があり、その講義の中で私は今まで持っていた宗教観を一変させるようなすばらしい体験を味わった。そのような期待を込めて、課題図書を選んだ次第だ。そしてまた新しい知見を得て、自らの新しい考察をすることが出来て、有意義な読書であったと思う。結論から言えば、21世紀の宗教は世界人類全員が共通して理解できる霊的世界の構造を思い付くべきだ、とかそのようなことだったと思う。この結論について、いくつか指摘をしたい。

仮に日本が閉塞状態にあるとしても,世界の閉塞は別問題

まず第一に、初めは『日本は閉塞している。現実社会にも霊的世界にも救いを望めない』とかいてあるだけなのに(つまり世界の国々を見れば「通時的に自己を規定できるから救いがある」とか「国教によって国民全体が一体に霊的世界を体験し、救いがある」という国があるはずなのに)、世界全体への言及が結論になっているところだ。これを『日本において』、21世紀の宗教のあるべき姿は…、と論じるならば飛躍は無いが、この理屈では大いに飛躍している。もしもこの結論が、世界宗教を創立すべき!という主張であるなら一応筋は通るが、実現性はかなり低い。世界中の人間を改宗させて、新たな宗教を刷り込もうとはかなり横暴だ。

世界宗教とは言わないまでも、すべての宗教を内包した、より大きな概念体系たる「新しい宗教」を生み出そうと言っている、と解釈した場合についても同様だ。そのような構想にも無理があるように思う。時間的(その宗教の歴史など)にも空間的(信者の世界分布、つまりその地域の気候などに由来した信仰の存在を考慮する)にも、背景の大きく異なる宗教の外側からさらに囲い込むような概念は理解されうるだろうか。そもそもそのような概念を誰が思いつくのだろうか。文中にもあった「多様性」を加味しての結論に一見して思われるが、もはや一般的過ぎて意味のある主張を一切含まない教義しか生み出せないように思う。

やはり日本の閉塞から始まった宗教の必要性の議論の結論に、世界全体を相手にした言及はふさわしくない。「21世紀の日本に限れば、新しいコスモロジーを生み出すことは日本社会にとって有意義である」と結論するのが妥当であろう。

実際には,暗黙の「日本教」が日本人に救いを与えている

また第二に、そもそも日本社会は絶望的に閉塞しているわけではないと言う点だ。さまざまな理由で日本の閉塞への危機感を煽られているが、現代の日本人はそれほど絶望してはいないように思う。もちろん震災の被害にあった人や、交通事故などで愛する人を失った人は絶望しているかもしれないが、多くの人は政治や将来に悲観しながらも、なんとか前を向いて生きているように思う。もともと自然消滅的に宗教が消え去り、無宗教の国家となった日本だから、宗教の必要性が無いのだ。逆に言うと、『日本人教』とでも言おうか、大和魂に基づいた言われえぬ名も無き「宗教的な」ものにわれわれは心のよりどころを求めているのではないだろうか。

そもそも深層意識の体験を他人と共有するのは難しいものだ。深層意識は言葉で言い表せるような表層意識と違い、五感と結びついたものであるから、客観的な認識は不可能なのだ。それならば、いくら言葉巧みに日本の閉塞感を憂いようが、それはまったく意味を為さないことになる。なぜならもともと深層意識は言葉では表現し得ないからだ。どんな言葉も、日本人の深層意識を的確には表していないからだ。理屈の上で日本の孤独を証明しようと、それは深層意識に関しては言及していないから、ほんとうのところどうなのかは分からないのだ。日本人が孤独であることを言葉によって証明するのは不可能なのだ。それを知る唯一の方法は、日本人みんなに『しあわせですか?』と尋ねるほか無いだろう。

つまり本書の初めのほうで述べられている現代日本社会の問題点の指摘は、実は指摘しきっていないのだ。論証が終わっていない。そしてその証明を終えることが出来ないことを、本の中盤の内容で明らかにしている。日本人が閉塞的環境の中にいることを断言できていない状態だ。日本人が閉塞的環境にいるかどうかは、まだ分からないのだ。また、言説によってそれを知ることは不可能なのだ。それを知るには日本人の深層意識を知る必要があるが、それは言葉では言い得ないものであるからだ。

そして、わたしには日本人が閉塞的環境にはいないように思われる。『日本人教』の信仰の下で、幸せを求める積極的な姿勢を感じるからだ。すなわち本書の問題提起の時点で同意しかねていると言えるだろう。そのために結論にもおおいに疑念を抱いてしまうのかもしれない。しかし深層意識、表層意識という区別の概念や、宗教の本質とは何かを理解できた貴重な読書体験となったことは言うまでもない。むしろそのような理解があったからこそ、このような反論や意見を自分で持つことが出来たのだろう。

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