ワクチンの種類を選べと言われましても

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選択肢、多いが善?少ないが善?

さる 10 月 9 日に 4 回目の Covid ワクチンを接種した。嬉しくない副反応は今回もあり、最高で 38.7 ℃もの高熱を出しちゃった。とは言え接種後 48 時間で体温はほぼ平熱に回復したし、Covid-19 に罹るのに比べれば全然マシな代償だよね。それよりも気になったのは、ワクチンの予約システムについて。

接種後の体温変化の記録

接種の予約時に、希望するワクチンの種類を選ぶ必要があった。専門知識のない僕が自分で選択するのって意味あるかい?何らかのアルゴリズムで最適な種類を自動で提案するほうが良くないか?接種履歴 (前回のワクチン製造者とか) や年齢、性別などのデータと治験結果のデータがあれば、そうした提案は可能そうだよね。僕がランダムに種類を選ぶより、そのほうが効果的でしょうし。

ワクチンを選べと言われても…😓

特に医療では、患者に「選択肢を与えない」ことが善い場合がある。医学に疎い患者を、症状が悪化しないよう導くのが医師の務めだ。感染症対策も同じで、専門知識のない多数の庶民 (当然、僕も含まれる) を守り導くのが、医療や公衆衛生に携わる専門家たちの務めだろう。なぜワクチンの選択肢が与えられていたのか、少し気になった。

Date-timeTime after dose [hour]Body temp. [℃]
2022/10/09 14:1500:0035.9
2022/10/09 18:4004:2536.8
2022/10/10 01:1010:5537.3
2022/10/10 05:3515:2038.7
2022/10/10 10:3020:1536.9
2022/10/10 15:2525:1037.6
2022/10/10 18:1027:5537.2
2022/10/10 23:0532:5036.3
2022/10/11 07:5541:4036.5
2022/10/11 14:0047:4536.9
2022/10/11 14:1548:00#N/A
接種後の体温の記録 – 生データ

愚かな行いを未然に防ぐ父権主義

例えば、より効果的なワクチンの種類を知りながら、医師がそれを僕に勧めなかったら問題だ。もちろん僕には選択の自由があるかもしれないが、何も効果の薄い種類を選びたいわけじゃない。相対的に悪い選択肢が存在するなら、専門家が予め排除してくれた方が都合がいい。

悪い選択を防ぐために、個人の選択に介入してよい (すべきだ) とする考え方を「父権主義 paternalism」と言う。Wikipedia では次のように 4 つの点に分けて説明されている。

  1. 強い立場にある者が、
  2. 弱い立場にある者の利益のためだとして、
  3. 本人の意志は問わずに
  4. 介入・干渉・支援すること

「選択に干渉」とか言うと聞こえが悪いけど、そんなに悪いものでもない。例えば、子供の飲酒/喫煙が発育に悪影響があることは、科学的に確認されている。子供のためを思えば、大人 (強い立場にある) が子供 (弱い立場にある) の飲酒や喫煙を、本人の意志を問わず、制限するのは正当だ (と僕は思う)。

ワクチンの種類について言えば、僕の選択に介入・干渉して、よりよい選択を促してほしかった。一般論で言えば選択肢の提示はフェアだけど、この場合は選択肢に意味が無かったからね。それでも僕にワクチンの選択肢が与えられたのは、父権主義的な考えよりも「自由」が優先されたからだろう。そもそも接種の有無すら、日本では「自由」だよね。

愚かな行いまで保証する危害原則

父権主義的に考えれば、ワクチン不接種という愚かな判断を未然に防ぐ (= 接種を義務化する) 政策があっても良さそうだ。しかし実際にはそうでない。何故?これは、ワクチンの不接種が直ちに「他者への危害」とは言えず、「愚行権」として保証されるからかもしれない。ここで言う「危害」は、Mill の提唱した「危害原則」を踏まえている。

19 世紀イギリスの哲学者 J. S. Mill は著書『自由論』で「愚行権 (Wikipedia)」を説いた。Mill は「危害原則」という枠組みを導入し、「自由」の概念の定式化した。愚行権は、この危害原則から論理的に直ちに導かれる権利だ。「危害原則」とは何か、あるブログの要約を借りれば次の通り。

危害原理は2つのポイントからなる。

  1. 社会の「自己防衛」を目的とする限りにおいて、行為の自由を規制することは正当。
  2. 他者に危害が及ばないようにする限りにおいて、権力の行使は正当。
ミル『自由論』を箇条書きで要約する | Philosophy Guides

ある行為に危害性が無いならば、それは「自由」の範囲内として保証されるべきと Mill は説いた。例えばワクチン不接種が愚かな判断であっても、その行為に危害性が無いならば禁じられる筋合いはない。これが Mill の説いた「愚行権」だ。

Mill の説いた愚行権が、接種を義務化しない根拠の一つかもしれない。危害のない行為は制限されるべきでないからね。例外的に「不接種は危害だ」と言える場合があるとすれば、不接種の人が感染して、それを他者に伝染するケース。とは言え感染経路は「誰から誰へ」ほど詳細には特定できないし、現実的にはありえない想定だね。

危害原則は増やす – 父権主義は減らす

日本では、喫煙も飲酒も賭博も (全面的には) 禁止されていない。「自由」とはこれほどに、多くの選択肢を保証する強力な概念の枠組みだ。もちろん Mill の「自由」が自由の全てではなく、Mill 以降も多くの哲学者たちが「自由」の理想を議論してきた (はず)。それでも確かなことは、「自由」は全ての人に、ときに「愚行」をも含む、かなり多くの選択肢を提供するということ。

ギャンブル管轄webpage
競馬農水省競馬:農林水産省
競艇国交省海事:モーターボート競走 – 国土交通省
オートレース経産省競輪・オートレース(METI/経済産業省)
競輪経産省
宝くじ総務省総務省|地方財政制度|宝くじ
スポーツ振興くじ文科省スポーツ振興くじ(toto):文部科学省
(パチスロ)(警察庁)(国からの指定等に基づく事務・事業一覧|警察庁Webサイト)
様々な公営ギャンブル

しかし現実には、飲酒や喫煙や賭博は「無制限」でもない。20 歳未満の喫煙や飲酒は禁止だし、賭博も (原則的に) 公営ギャンブルのみが合法だ (パチスロは民営だけど🤣)。危害性の無い行為は制限されないとした Mill の「自由」を国が侵害している。これは先に見た通り、「父権主義」に基づき選択肢を減らしていると解釈できる。この二律背反は、常にせめぎ合っているんだね。

最後に、少し毛色の違う話をして終わろう。

掛け算順序の迷信を、危害原則で否定する

Twitter でときどき「掛け算の順序」問題を観測する。曰く、小学生に掛け算を教えるときは、交換法則が成り立たないとすべきだ、とか。そのほうが子供にとって、掛け算の理解が容易になるというのが、その理由らしい。この論争は僕に「愚かの自由」を考えさせる。

誰にでも信じたいこと ― それが非科学的な迷信であっても ― を信じる自由「愚行権」がある。いくら「掛け算順序」の迷信が愚かだとしても、これを “個人” が信奉することは否定し得ないだろう。それが彼らなりの「個性の発揮」であり「幸福追求の営み」なのだろうから。

足し算の交換法則すら否定する人がいるとか🤦

しかし、教育現場で掛け算の交換法則を教えないことは「他者危害排除の原則」から逸脱していると僕は考える。教育にこれを持ち込めば、非科学的な誤りで子どもたちの思考を塞ぎ、正確かつ闊達な精神の発育を妨げると思う (何の証拠もない、ただの仮説です😇)。「掛け算順序」の教育法が、一般的な功利を損なうならば、これを否定して封じることは正当と言えるだろう。

まあ、そもそもの大前提として掛け算順序がダメな理由は、シンプルに「嘘だから」なんだけど。

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