悪い王様

 むかし、悪い王様がいました。その王様は、三ヶ月に一人、領土のどこかから人をさらってきては、その人たちを、お城のとなりにある高い塔のてっぺんにとじこめていました。さらわれてくる人々の中には、色々な身分の者がいました。くつ屋、先生、てつ学者、新米の兵たい。彼らには、さらわれなければならない理由など、まったくありませんでした。
 ほんとうのところ、だれでもよかったのでした。王様が彼らをさらってくるのは、彼らの持つ、ある食べ物がほしかったためなのですが、それはじつはだれでも持っているものだったからです。
 人々がとじこめられる塔のてっぺんというのは、こんな場所でした。レンガのかべに囲まれた小部屋になっていて、その広さは、ほんの馬車の荷台ほど。横になってねむることもできません。窓は一つもなくて、真っ暗です。そのかわり、レンガのかべの一ヶ所から、二本のつつが、内と外に向かってのびていました。ちょうどそうがん鏡のように、その二本のつつのはばは、人の目のはばと同じに合わせてありました。真っ暗な部屋の中からは、二本のつつのこちら側だけが、ぽつぽつと光って見えます。
 とじこめられた人は、こどくと不安にかられながらも、これは何だろうと、必ずそのつつをのぞきこみます。そして、その二本のつつ以外にはまったく何もない部屋でしたので、すぐに、毎日のぞくようになります。彼らは日に一度与えられる、わずかなパンと水だけで生きのびて、来る日も来る日も、一日中、その二本のつつをのぞいてくらすのでした。
 つつの先に見えるのは、お城の屋根でした。その屋根の先たんには、いつも三角形の国旗がはためいていました。とじこめられた人は、毎日毎日、朝から晩まで、お城の屋根と国旗とを、ながめているのです。彼らは、その限られた景色の中に、自分を助けてくれる何かが、いつか現われてくれるのを、じっと待っているのでした。雨の日も風の日も、つつの先の景色をながめて、助けが現われるのを待って、やせ細った体で、生きのびるのでした。
 彼らはそうして、三ヶ月のあいだ、そこにとじこめられています。毎朝毎朝、目がさめるとすぐに、彼らはつつの先をのぞきます。そして、前の日と何も変わらない景色をそこに見つけて、悲しい涙を流すのです。
 三ヶ月たったとき、王様はいよいよ彼らから、王様の好物の、ある食べ物を取り上げます。
 三ヶ月目の朝、何も知らない彼らは、いつものように願いをこめて、二つのつつをのぞきこみます。そして必ず、あ、と声を上げるのでした。
 お城の屋根に、はためく旗。それが、いつものあの国旗ではないのでした。とらわれ人は、はっとして二本のつつに両目を押しつけ、その旗を見直します。そして心ぞうをどきりとさせるのです。
 国旗のかわりに立てられた旗には、こう書いてあります。
『待っていろ
 もうすぐ 助けにいく』
 それを一目見たとらわれ人は、うれしさにふるえます。ついに来た。ついにこの日が来たのだと、希望に目をかがやかせます。
 さて、そのとき、王様は朝の食たくについています。タイミングを見計らって、食たくの上のボタンをおします。ボタンをおすと、機械が作動します。
 機械というのは、きょ大なそうじ機でした。そうじ機のパイプは、塔のてっぺんまでつづいていました。そしてそのパイプの先たんは、あの二本のつつにつながっているのでした。
 やがて、王様の前に置かれたお皿の上に、ころころと二つの丸いものが転がり落ちてきます。それは、塔のてっぺんにとらわれた人の、目玉なのです。
 王様はフォークでそれをつきさし、うまそうにぺろりとたべてしまいます。そして言うのでした。
『ああ、希望。
わたしはこれを食べるのが大好きなんだ』
 王様の好物とは、希望なのでした。王様はそれを食べて、国を大きくしていたのでした。しかしやがて、その国はほろびてしまったといいます。
(※)これは俺の創作ではありません!道尾秀介っていう小説家の『向日葵の咲かない夏』という小説に出てくる、なんというか劇中劇というか、登場人物(小学生)の書いた作文です。
この冷淡なテキストのテクスチャ!すごく面白いから読むといいよ!『向日葵の咲かない夏』!

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