同調圧力?そんなもの無いよ!

同調圧力よりも,同調願望を問題視すべき.
空気読んでますか?
よく日本社会は同調圧力が強いと言われる.「みんな同じ」ということを美徳とするから,みんなと異なる人がいたら,そいつに「みんなと同じになれ」と迫る.日本社会は良くも悪くも,相互監視的にモラルが向上し,一方で意見を言わない(果ては意見を持ちさえしない)人が量産される.
と,よく言いますけど,それ本当ですか?本当に「同調圧力」は問題ですか?あなたは同調圧力を感じますか?同調圧力をなくすことが,問題の解決になりますか?
僕は同調圧力よりも,はるかに「同調願望」に問題があると思う.まったく恐ろしいことに,「同調圧力が問題だ」と言ったときの致命的な見落としが存在することを誰も指摘してない.同調圧力によって誰かの行動が制限されたとき,行動を制限したのは誰か?という見落とし.
「同調願望」こそ真の問題
同調圧力を問題視することによって,被害者が一定の安心を得られる仕組みになってる.「わたしにはきちんと意見があって,それを実行したいとも思ってる.でも彼らが同調圧力をかけてくるから上手く言えないんだ」これはおかしい.意見を言わない判断をしたのは自分なのに,あたかも責任が他者にあるかのように説明してる.

同調圧力を問題視することは,抑圧された人に自身を解放する努力を怠らせる.「同調圧力をかけてくる彼らが悪いんだ」と考えることによって問題の原因を他者になすりつけ,改善策への思考を停止してる.同調圧力が嫌なら,それに屈しないという生き方だってあるはずなのに(当然そのリスクとリターンを天秤にかける必要はあるけれど).
「同調圧力が問題だ」と言う人は,自身に潜む「同調願望」から目を逸らしてるに過ぎない.「同調圧力に逆らって,他者の評価なんか気にしないで,自分のするべきことをするんだ」という考えが,「同調圧力に屈して”皆と同じ”になりたい」という考えよりも弱い,というだけの話なのに.リスクを恐れるあまり「それならばわたしは同調しておこう」と”自分が”判断してることに気付くべき.

解決したいなら,問題を見直せ
僕自身は,同調圧力は非生産的で悪しき習慣だと思ってる.だけど「同調圧力は問題だ!」と叫んだところで僕を抑え込む同調圧力が解消されるものじゃない.問題を解決したいなら,他人を変更して解決しようとしても無理.自分を変えることでしか,問題は解決しない.

つまり,自身に潜む「同調願望」を問題視しない限り,同調圧力に屈し悩む人は解放されない.「空気読めない人になってまでやりたい訳でもないし…そうなるくらいなら同調しとくわ」という「同調願望」ときちんと向き合って,初めて問題は解決する.