なぜ登壇者は自分の講演を録画するのか?

生産活動に対して更に投資的意味合いを持たせることもできるし、できるんだったらそれをしない理由がないよね、というのが1つの話。

なぜ登壇者は自分の講演を録画するのか?
時間は垂れ流さないほうが良いし,消費的に過ごさないほうが良い.で,まさにそれを最近自分で実践した事例がある.この間,講演するチャンスがあったんだよね。人の前に立ってお話をするという場面.実践した事例というのは,その講演を自分で録画しておいたといこと。

別にその講演は録画しなくたって講演自体で収入になってる。収入っていうか会社の仕事だから「会社の売り上げ」なんだけど。僕は仕事でそれをやってるだけなんで,講演を録画しても俺個人に直接跳ね返ってくるものはない.だから特に「仕事の価値を高めるための努力」っていのは無くたってよかったわけなんだけど、でも意図的にやってみました。
登壇して講演した様子の録画があれば、録画を別のお客さんに販売できるんじゃないかなということを今俺は考えてます。録画を別のお客さんに販売するのって全然変なことじゃないと思う.販売するための動画を作るために別の時間、別の活動をやるというのは結構普通な感じだよね。東進ハイスクールだってYouTuberだって,売るための動画を作ってるわけだし.
1回の講演で2度オイシイ
今回の僕の取り組みの味噌は,「動画を作るためだけの別の追加の時間を必要としなかった」っていうところ。もともと売り上げが立っている (聴講者は僕の講演にお金を払ってる) 1つの仕事で,2倍の旨味を得たとも言えるかな。もともとは普通には売り上げが立つ1つの仕事だったんだけど、それにもう1つの意味をもたせた.「動画」という資産を作ることで、登壇して講演する時間に「将来のお客さんに備えるための投資」としての意味合いを持たせることができた。

もともとは講演を聞いてるお客さんだけに対する仕事だった.でもその講演を録画することによって、潜在的なお客さん (将来的に現れるかも知れない,同じ内容の講演を聞きたい人) に対する仕事としての投資的意味合いを持たせたわけだよね。
1つの行為から,繰り返し利益を得る構造を作る
何が言いたいかっていうと、「あらゆる活動は ”消費的” か ”投資的” かの2つに分けることができるかな」と最近思ってる。あるいは単純に ”生産的活動” っていう分け方もありかも.それがそのまま直接売り上げだったり成果物だったりに直結するような活動は生産的活動だね (例えば,目前の聴講者だけのために講演することとかが生産的活動かな?).だから2つじゃなくて,「消費的活動」「生産的活動」のほかに「投資的活動」の3つがある,という分け方が統一的かな。というか見通しが良くなるかな。3つに分かれるという考え方ね。

この間の僕の講演会っていうのは,当然それそのものが売り上げを立てるための活動だったので「生産的活動」だったわけだ。けど、生産的活動により高い意味合いを持たせるために (「投資的意味合い」を持たせるために) 録画をしてみました、というのが今僕の言いたかったことね。