謙虚,再考

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「控えめで慎ましいこと」じゃない,絶対に.

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何だこの画像?

謙虚を再定義しよう

辞書で「謙虚」を引くと,「控えめで慎ましいこと」とある.俺はその定義にはあまり納得しない.もちろん,謙虚な人を目の当たりにしてみると,結果的に外からは「控えめで慎ましい」ように感じることがあるかもしれない.でも恐らく当の本人は自分のことを「控えめで慎ましい」とは考えてないと思う.例えその振る舞いが,周りの人から「謙虚だね」と評価されるような場合でも.

俺は「謙虚」の定義を「何らかの成果に対して,『自分による貢献』と『自分以外による貢献』を正確に区別して認識できること」としたい.「慎ましい」とか「控えめ」とか,そういう外的な評価は必要ない.あくまでも自分の内で,『自分の貢献』と『自分以外の貢献』を区別できてさえいれば,それで「謙虚」.この定義は,従来の「謙虚」と大きく違うように見えて,実はむしろ「謙虚さ」の本質を捉えた合理的な定義だと思う.

アーサー・ケイリーとケイリー・ハミルトンの定理

何を言ってるのか判然としないかもしれないね.具体例を出して話した方が分かりやすい.ここで一人の数学者の例を出そう.アーサー・ケイリーというイギリスの数学者がいる.彼は射影幾何学の分野で多大な功績を残し,後に「ケイリー・ハミルトンの定理」と呼ばれる定理を証明した人物として有名.

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アーサー・ケイリー – Wikipedia

ケイリー・ハミルトンの定理とは,このような定理.

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ケイリー・ハミルトンの定理 – Wikipedia

この定理の意味は,今回の本題とは無関係なので理解する必要はないし,俺自身も大学生の時は分かってた気がするけど今は分かってるか怪しいです笑.重要なことは,この定理はケイリーその人が発見し証明したにもかかわらず,「ケイリー.ハミルトンの定理」と呼ばれていること.ハミルトンは誰やねんと,そうなるわけです.

ウィリアム・ハミルトンの存在

ウィリアム・ローワン・ハミルトンは,これもまたイギリスの数学者.ケイリーの生年が1821年なのに対して,ハミルトンはそれより早い1805年生まれ.ハミルトンはケイリーに先んじて行列計算に対する研究を行っていて,ケイリーは彼に教わる形でこの分野に進出したそうだ.ハミルトンの業績は定理の形で定式化できるまでには至らなかったものの,その後を継ぐ形でケイリーが定理を証明し,それが今では「ケイリー・ハミルトンの定理」と呼ばれているわけです.

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ウィリアム・ローワン・ハミルトン – Wikipedia

もちろん定理を証明したのはケイリー自身なのではあるけれど,前任者であるハミルトンの功績なしには到達できなかったかもしれないだろう.ハミルトンが行列計算に関する多大な資産を築いてくれたからこそ,ケイリーはそれを利用して定理を発見し証明することができたに違いない.ここでWikipediaを引用しよう.

この定理の発見はケイリーの仕事であるが、ケイリー自身が着想の起源をハミルトンの研究に負っていると述べている

ケイリー・ハミルトンの定理 – Wikipedia

真の意味で「謙虚」とは

これこそが,まさに俺の思う「謙虚」像.ケイリーは定理を発見し証明した人物で,ある意味研究者としては成功を収めたわけだ.とは言え,何も一から十まですべて自分で独自に思い付いたわけでは決してなくて,むしろ先人たちの膨大な積み重ねの上に立ったからこそ見付けられた定理だよね.その意味では,ケイリー・ハミルトンの定理を「見付けた」のはケイリーではあるけれども,定理が見付けられる位置までケイリーを運んでくれたたくさんの数学者たちの存在は無視できない.

そのことをケイリーはきっとよく分かっていたから,「ハミルトン先生の業績ありきです.僕一人では証明できなかったでしょう」とコメントしたわけだ(本当にそう言ったかは知らないけど,意味としてはそういうことは言ったんじゃないかな).これはケイリーが「控えめ」で「慎ましい」性格だったからそう言った訳じゃないよね.ケイリーが定理を発見するにあたって,「自分による貢献」と「自分以外による貢献(この場合ハミルトンの功績のこと)」を正確に区別して認識していたからからこその発言だよね.真の「謙虚」とはこういうことであって,「控えめで慎ましい」なんてしょぼいことじゃないはずだ.

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